大惨事は逃れたはずが...“優秀なパイロットへの有罪判決”が呼んだ悲劇の結末
濃霧のフライト
スチュアート機長はこの段階で一時着陸を考えた。テヘラン空港が唯一の候補だったが、イランの複雑な政治的情勢を考えると、そのまま飛行を続けるのが賢明だという結論に至った。レヴァーシャもこの意見に賛成する。そもそも、機長と副操縦士のどちらかが体調を崩して、もう一方だけで操縦を続けるのは珍しいことではなかった。 しかしフランクフルト上空に到達したあたりで、状況は一気に深刻になる。ヒースロー空港の天候が最悪だという情報が入ったのだ。霧が低く立ち込めて視界を塞いでいるため、「カテゴリーⅢ」での着陸(目視では滑走路をほぼ確認できない状況での計器着陸)を行わなければならないとのことだった。計器着陸のカテゴリーの中では、最も難度が高い。 ここで問題が生じた。スチュアート機長とレヴァーシャはカテゴリーⅢ着陸の資格を持っていたが、副操縦士のラフィンガムはブリティッシュ・エアウェイズでの勤務経験が比較的浅く、高難度のカテゴリーⅢに関してはまだ訓練さえ受けていなかったのだ。 そこで機長はブリティッシュ・エアウェイズのフランクフルト・オフィスに無線連絡をとり、ラフィンガムに対する規則の免除を求めた。つまり、資格なしでの着陸許可を求めた。 ブリティッシュ・エアウェイズはこれを口頭で許可。機長にカテゴリーⅢ着陸の十分な資格があったため、副操縦士への許可は重大なリスクにならないと判断した。事実、ブリティッシュ・エアウェイズではこうした規則の免除が日常的に行われていた。 やがてイギリス上空に到達した頃、ラフィンガムは副操縦士の席に戻った。ノベンバー・オスカーはロンドン上空で待機経路に入り、ヒースロー・アプローチからの進入許可を待つ。 だが、機長の後ろに座っていたレヴァーシャの頭には、このときわずかな不安がよぎっていた。機長は15分の休憩を1度とっただけで、もう合計5時間以上ほぼ単独で操縦を続けている。視界は最悪だ。燃料も残り少ない。レヴァーシャは、天候がましなマンチェスターに航路を変更したほうがいいのではないかと考えた。 「機長、マンチェスター空港に向かいましょう」 スチュアート機長はマンチェスター空港の天候を無線で尋ねた。続いてロンドン・ガトウィック空港の天候も確認し、3人のクルーは選択肢を検討した。しかしスチュアート機長が航路変更を決定しようとしたそのとき、ヒースロー・アプローチからようやく進入許可が下りた。 ところがここでまた新たな問題が浮上する。当初ノベンバー・オスカーは、東側からヒースロー空港に進入する予定だった。手元のマニュアルにも、その通りの細かい経路が記載されている。しかしヒースロー・アプローチは、霧がかなり晴れて天候条件が変わったと言い、西側からの降下を要請したのだ。 経路変更は多少困難だったが、決して惨事につながるような難しさではなかった。8000フィート(約2キロメートル)上空では旅客機は通常240ノット(時速約440キロメートル)で航行するが、着陸時までに140ノット(時速約260キロメートル)に減速できれば、滑走路をオーバーランすることなく安全に停止できる。 この減速は、降下する間に、エンジンの出力やフラップ(高揚力装置)の角度を調整しながら徐々に行うため、ある程度の航行距離が必要だ。 だが急きょ空港への進入方向が変わったことで、その距離は一気に25マイル(約40キロメートル)も縮まった。コックピットは一気に慌ただしくなる。マニュアルの図表を頼りに、新たな進入経路を計算し直さねばならない。 またこのときは10ノット(時速約20キロメートル)の追い風が吹いていて、時間の余裕はさらに削られた。コックピットに緊張が走る。クルー同士のスムーズな意思の疎通は次第に困難になり始めた。