大惨事は逃れたはずが...“優秀なパイロットへの有罪判決”が呼んだ悲劇の結末
2日前、モーリシャスにて
連続したフライトが数日続いたあと、モーリシャスに着いたクルーたちは、一緒に夕食をとってゆっくりと羽を伸ばすことにした。スチュアート機長の隣には副操縦士のラフィンガム、航空機関士のレヴァーシャの隣には、この旅に付き添っていた妻のキャロルが座っている。気持ちのいい夜だった。 だが2日後、次のフライトのためバーレーンに到着した頃には、大変なことになっていた。ほぼ全員が胃腸炎に見舞われていたのだ。一番症状が重かったのはキャロル。 夫のレヴァーシャはモーリシャスにいる間に地元のブリティッシュ・エアウェイズ公認医師を呼んだが都合がつかなかったため、かわりに近々公認になる予定の同僚を紹介してもらった。キャロルはその同僚の医師に痛み止めを処方され、もしほかのクルーの調子が悪くなったらその薬を渡せばいいと言われていた。 バーレーンからロンドンに向けて飛び立つ予定時刻は深夜0時14分。通常ならその時間まで仮眠をとるところだが、モーリシャスから着いたときはすでに夜遅く、そのままヒースローまで夜間飛行をするという強行スケジュールだった。しかも胃腸炎の症状も出ている。理想的と言うには程遠い状況だった。 しかし、操縦士たちはプロだ。胃腸炎や疲労で、255人の乗客が待つフライトを中止するつもりはなかった。私の取材に応じてくれた航空機関士のレヴァーシャ(取材時は75歳だった)は、ハンプシャー州の田園地帯に構えた自宅でこう語った。 「クルーの症状の重さはそれぞれでしたが、みんな最悪の状態は脱したということで意見は一致していました。ブリティッシュ・エアウェイズに交代要員を用意させるのはプロとしてあるまじきことだと考えていました。さまざまな混乱を生じさせることになりますから。私たちは、自分の仕事を全うしたかった」 強い向かい風でフライトの状況は最初から厳しく、燃料の消費は早かった。しかも離陸直後、副操縦士のラフィンガムが体の不調を感じ始めてしまう。どうやら、胃腸炎がぶり返したらしい。 彼はコックピットの補助席に座っていたキャロルから薬をもらい、仮眠を取る許可をスチュアート機長にもらった。ラフィンガムはファーストクラスのキャビンに向かい、操縦は機長と航空機関士のレヴァーシャのみに任された。