東大理三日本一、灘の現役教師が考える「国語力」の育み方
加藤:日本でも、科学技術に関する論説文は理科や情報の授業で扱うというふうに、今、国語で扱われているさまざまな分野の文章を、その専門分野の教科に任せる形にすれば、国語の授業が担う負担が減るのではないでしょうか。
井上氏:そう思います。日本では芸術、社会福祉、経済やAI など、何から何まで国語の時間で読みますが、そうしたものを国語という授業の外で読むからこそ、生徒の頭の中に広がっていく景色があるはずです。今は亡きスティーブ・ジョブズが、大学でカリグラフィを学んだことが、後にMacの美しいフォントデザインに繋がったという経験を、「Connecting the dots」(「点と点を繋ぐ」という意味)というフレーズで表現しました。一見関連がなさそうに見えるさまざまな経験を、思いもよらぬところで繋げ、新しい何かを作り出していくことこそ、学習の面白さではないでしょうか。
ふとした瞬間に、生徒の頭の中で、点と点が繋がるような学校のカリキュラムをつくれたらなと思うものの、国語の教員があらゆる文章を網羅しなければいけない現状では、生徒たちも狭い理解に留まってしまわざるをえないでしょう。
井上氏:日本の学校は今とにかく時間がありません。国語教育の要求範囲が広くなっている上、現代人の病魔「役に立つ病」が根っこにある分、合理性を優先せざるを得ないような風土が学校にも醸成されている気がします。
加藤:「役に立つ病」とは、入試や社会で役に立つのか、実用性の有無で判断するということですか。
井上氏:はい。たとえば『羅生門』を読むにしても、それで何ができるようになるか、社会でどう生かすかを考える授業になってしまい、心で感じたことや物語の内容そのものが切り落とされてしまいがちです。今の国語の授業では、生徒が「入試や社会で役に立つものだけ伸ばしていけば良い」という誤ったメッセージに捉えてしまう危険をはらんでいるとも感じますね。