【追悼 上田稔夫さん】 怒涛の業態開発&超高効率経営で紡いだ「コムサ神話」
「コムサ」や「コムサイズム」で知られるファイブフォックス創業者の上田稔夫(うえだ・としお)代表取締役会長が5月2日に死去した。80歳だった。90年代から2000年代前半にかけて急成長し、SPA(製造小売業)方式による高収益な事業モデルや旺盛な出店や業態開発意欲でも話題だった。数々の「コムサ神話」が生まれたが、当の上田氏本人は取材を受けるのは基本的には年に1回の決算発表時のみ(それも2000年代半ばまでのこと)で、新業態・新ブランドの開発時や重要店舗のオープン時などに話が聞ければラッキーという希少性も、強力なリーダーシップと相まって、彼のカリスマ性を際立たせた。 【画像】【追悼 上田稔夫さん】 怒涛の業態開発&超高効率経営で紡いだ「コムサ神話」
DCブランドからいち早くSPAへ変貌、1994年に「SPA宣言」
上田氏は1944年生まれで、四国・愛媛の出身。60年代から70年代にかけて、婦人服専門店トップ3だった3S(鈴屋、鈴丹、三愛)のうち、三愛と鈴屋で小売業を学んだ。当時、三愛は銀座交差点の角地の和光と三越の並びに「三愛ドリームセンター」を構えた。鈴屋は川久保玲氏が立ち上げたばかりの「コム デ ギャルソン」を扱い、後に青山ベルコモンズを開発するなどファッション感度の高さを誇り、カルチュア・コンビニエンス・ストア(CCC)の創業者(現取締役会長)である増田宗昭氏や小島ファッションマーケティングの小島健輔氏、ユナイテッドアローズの栗野宏文・上級顧問ら多くの人材を輩出した企業としても知られた。
上田氏がファイブフォックスを創業したのは76年、世の中がDCブランドブームに向かう黎明期のことだ。卸売りからスタートし、78年に札幌で直営店1号店を開始。日本の美意識や様式美を重視しながら西洋のスタイルと融合。陰影礼賛を意識したモノトーンな世界観を訴求した。とくに「コムサデモード(COMME CA DU MODE)」(CAのCはセディーユ)はフランス語で「こんな様式はいかが」という意味で、世界のトレンドを意識しつつ、日本人の黒髪に合う凛としたモード服を提供することに努めた。