【追悼 上田稔夫さん】 怒涛の業態開発&超高効率経営で紡いだ「コムサ神話」
「コムサイズム」など多彩な業態&店舗フォーマットを開発、
平成ニューファミリー層を開拓
ファイブフォックスが自らをSPAと宣言したのは94年のこと。前年の93年にウィメンズ、メンズ、キッズ、雑貨の複合型大型新業態「イズム・コムサデモード(後の「コムサイズム」)」を始動し、後に「モノコムサ」を開発するなど、短期間で「平成ニューファミリー」と呼ばれる市場を席捲していった。
郊外型ショッピングセンター(SC)や都心再開発などによる大型商業施設の開発ラッシュの波に乗り、出店を加速。業界内でもいち早く店舗の大型化を進め、スーパーストア(100~200坪/330~660㎡)、メガストア(200坪~/660㎡~)、都心好立地でのストロングショップ(30~50坪/99~165㎡)という店舗フォーマットを開発したり、赤字店舗・赤字ブランドの撤退基準を2年と定めて年間100店舗近い出退店・スクラップ&ビルドを行うなど、商業リーシングのキーテナントとして存在感を発揮した。2000年からは自社のコンテンツを複合した「コムサストア」も展開。一時は全国に東京ドーム5個分を超える総売り場面積を有したほどだ。
2001年に大阪・梅田に約1万㎡の超大型店舗「コムサストア」梅田店をオープン
振り返って、ファイブフォックスのハイライトの一つは、「コムサ流百貨店」とも呼べる、JR大阪駅前のヨドバシ梅田に2001年11月21日にオープンしたコムサストア梅田店だった。1~7階までの約3000坪(約1万㎡)には、「コムサイズム」、生活雑貨の「モノコムサ」、新感覚コンビニエンスストアを標榜し100円、300円、500円、700円、1000円といったカラフルな低価格な服と雑貨を集めた「スリーミニッツハピネス」、ファストファッションブランドを意識した低価格ファッションの「コムサコムサコムサ」、富山の置き薬をイメージしたサプリメント「コムサ本舗」や福助との協業ソックス「コムサフクスケ」、老舗バッグ・レザー企業の味岡と組んだ「味平」など和雑貨を集積した「ものこむさ」。さらには、アイウェア「コムサオプティカル」や、オープンキッチンも有する「カフェコムサ」などを展開。オリジナルマネキンによる群像ディスプレーや大パネルによるエモーショナルなビジュアル訴求、独自のライティングなどによって、ドラマチックな店舗を創り上げ、売り場が埋めきれないのではないかとの心配をよそに、充実のコンテンツと、初年度売上高目標80億円を上回る爆発的なスタートを切った。