【追悼 上田稔夫さん】 怒涛の業態開発&超高効率経営で紡いだ「コムサ神話」
また、POSデータの活用や、カテゴリーごとのSCM(サプライチェーンマネジメント)構築など在庫や調達分野でのIT活用には積極的だったものの、長く自社のウェブサイトすらを持たず、ECの参入も大手アパレルとしては最遅だった。SPAの弊害で、店頭消化率が落ちると在庫が滞留し、利益率が落ち、顧客が離れ、売上げが落ち、資金繰りも悪化するという、負のスパイラルにも陥った。店舗面積が大きかっただけに、上田社長が進めた改革(ルネッサンスと呼んだ)は難航を極め、2000年代半ばごろから苦労が続いたと聞く。病に倒れたこともあった。晩年は、「としおちゃん」名義での作詞活動や、芸能事務所のアミューズと組んで開発した「おしりかじり虫」のデザイナーうるまでるびがデザインした昭和女子的なキャラクター「スミ子」の展開など、謎の動きもあった。いつの間にか、「コムサ・デ・モード」の名称は消え、「コムサ」に統一されていたことにもしばらく気付かれない時期があった。
東京商工リサーチの調べによると、2023年8月期の売上高は215億円。コロナ前の19年8月期の450億円からさらに大きく落ち込んでいるのは、オンラインストアやデジタル施策の遅れも要因だろう。
実は契約目前だった「ZARA」との合弁会社設立
それでも、上田稔夫氏は一代でファイブフォックス帝国を創り、数々のコムサ神話を紡いだ希代のカリスマだったことに変わりはない。個人的に筆者が一番印象的だったのは、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「グッチ(GUCCI)」をはじめとしたラグジュアリーブランドやコングロマリット、「H&M」や「ZARA」などのファストファッションなど、海外の企業研究や店舗研究の知見の深さだ。スペインの「ザラ(ZARA)」は1998年、「H&M」は2008年に日本に上陸したが、日本のファッションビジネスマンの中でもいち早く注目。しかも、「ZARA」のインディテックスとは日本上陸時のパートナーの大本命として合弁会社設立に向けて話し合いを重ねたこともあった。結局、出資比率のマジョリティがとれないという理由で決裂してしまったという。しかも、ビギグループがインディテックス社とザラジャパンを97年に共同で設立した際には、ビギが51%、インディテックスが49%という出資比率だったため、上田社長の憤りは大きかった。ファイブフォックスが「ZARA」を日本で展開していたら、「ZARA」は、そしてファイブフォックスや「コムサ」はどうなっていたのか、見てみたかった気もする。