うちの凸凹-外科医と発達障害の3人姉弟-「そんな子、今まで見たことがない」透明化される子どもたち
こんにちは。外科医ちっちです。うちの3人の子どもは、全員が自閉スペクトラム症の診断を受けており、いくつかの困りごとを抱えています。一緒に生活するうえで、「こんな発想でこんなことをしてしまうのか」と驚かされることもあれば、「こうとしか考えられないのか」と辛い思いをすることもあります。この連載では、軽度の発達障害のわが子の日常や、子育ての様子を徒然なるままに綴ります。世の中にはこんな「変わっている子」「変わっている人」もいることを、いろいろな方に広く知ってもらい、お互いに楽に接するきっかけになったらいいと思っています。今日のテーマは「透明な子どもたち」です。
なぜ、自分がすべて見抜けていたと思えるのですか?
子どもを観察して、何に困っているのか、どう手伝ったらスムーズかを試行錯誤して、その上で学校や病院、役所と話し合います。その機会に時々「そんな子、見たことない」とか、「自分が子どもの頃はそんな子いなかった」と言う人に出会うことがあります。
正直、かなり違和感があります。昭和の田舎育ちで、1学年が100人弱と少なかった私ですら、診断がつくかは別として級友にチック症状がある子も、算数だけ異様にできない子も、授業中に座っていられない子も見かけました。 医学生になって、生活の中の一部が極端にできない障害があると聞いて、「確かにいるだろう」と実体験として感じたし、その数がどんどん増えていると聞いても、「いや、昔からいたけど、数えていなかっただけでは?」というのが感想です。
ベテランの年代の教師から「そんな子、見たことがない」と言われた時には、「なぜ、自分がすべて見抜けていたと思えるのですか? 沢山の困っている子どもを自分が見抜けず、困らせたまま過ごさせたかもしれない可能性はないですか? 本当によく考えてからそう思いましたか? 今こう言われて、『そういえば……』と思う子どもは本当に1人もいませんか?」と聞きたくなります。 今でも一部の大人から、発達障害の子どもは透明化されているのです。