【カスタム車紹介】ヨシムラジャパン GSX-R750 レーサーレプリカ“604”(スズキ GSX-R750)時代を築いた油冷車の復刻プロジェクト、その皮切りに
今後のパーツ検討用に作られた現代版実機再現仕様車
2024年が創業70周年のヨシムラ。油冷登場とともに自身と油冷の黄金期を作り上げた同社はこの年、油冷GSX-Rの復刻プロジェクトに着手し、春の東京モーターショーに’86年AMAスーパーバイク・デイトナラウンドに出走したGSX-R750をモチーフとした「GSX-R750レーサーレプリカ“604”」を展示した。それがこの車両だ。 【写真はこちら】ヨシムラジャパン GSX-R750 レーサーレプリカ“604”の全体・各部(10枚) バイク史不朽の名作。スズキ油冷モデルをその位置に押し上げたのは、軽くコンパクトで高出力に、そして誰もが世界グランプリマシンのように車両を思い通りに扱えるようにというベースコンセプト。そこに至る開発への尽力、そして得られた性能だったのは間違いがない。もうひとつ忘れてならないのは、その性能を生かしたレースシーンだ。少し振り返っておこう。 GSX-R750は’85年型として登場すると同年4月27-28日のル・マン24時間耐久レースでは1-2フィニッシュ。3月10日の鈴鹿2&4で開幕した全日本選手権TTF-1では、ヨシムラが喜多祥介と辻本 聡にGSX-R750を託し、辻本が3位入賞。辻本はシリーズ後半には2勝を挙げ、チャンピオンとなる。 鈴鹿8耐でもヨシムラがGSX-R750で3位(#15グレーム・クロスビー/ケビン・シュワンツ)と6位(#37喜多/辻本)の好成績を残す。ちょうど国内はバイクブーム&レプリカブームの頃で、バイク好きのみならず一般にも油冷の高性能は広く認知され、ヨシムラ+スズキの動きはバイク界のひとつの指標ともなった。 そのヨシムラはアメリカでも、AMAスーパーバイクシリーズを主に活動していた。当地でのGSX-R750のレース公認は’86年からで、そのデビューは’86年開幕戦のデイトナ200マイルだった。赤×黒の#34車にシュワンツ。同じカラーで#604を付けたもう1台が、辻本用に用意された。 #604は予選4位、決勝グリッドを決める50マイルヒートレース3位。決勝こそリタイヤとなるが、油冷伝説を確たるものに押し上げるこの結果に日本のファンは沸く。 その実車とともに、冒頭のようにこのヨシムラGSX-R750レーサーレプリカ“604”が展示されたというわけだ。 今年70周年を迎えるヨシムラが、これから油冷GSX-Rに本格的に取り組んでいくこと=“油冷復刻プロジェクト”を、広く周知させるために作ったデモ車両。ヨシムラにとっても油冷は自身のいち時代を築いたマシンだったということで、デイトナ用辻本車をオマージュして製作した車両。こうした具体的な形があることで、要望を出す側も、それを聞いて反映するヨシムラ側も、イメージや数値、必要なものなどの把握がしやすくなる。そんな習作と言える車両だ。 ただ形にするだけでなく、モチーフ車に準じた仕様を現代流の視点と技術、そしてこのプロジェクトに則ったストリートフィードバックとして表現しているのも特徴だ。“604”のナンバーはヨシムラ×油冷の原点、そしてそこからの発展を期待したものと言える。 モチーフ車に施されたフレーム各部の補強は、改めてストリート向けに再考されて再現。普通に各パーツを作ろうとするならそこまでのことはされないかもしれない。でも、それを行うことで見えてくるものもある。足まわりも当時の標準だった前後18インチをそのまま生かし、現代のショックユニットや鍛造ホイールで再構築している。このような、当時のレーサーをかなり近い部分まで再現しながら、単なる現車の再現という部分にこだわらず、当時からもう40年経った分のパーツの進化を採り入れ、これからの油冷に生かそうという考え。これならかつての油冷ファンにも、今手を入れながら乗り続けるファンにも受け入れられるはずだ。
ヘリテイジ&レジェンズ編集部