山下リオ 14歳の時にスカウト、15歳で「三井のリハウス」12代目リハウスガールに抜擢されてデビュー!
2007年、「三井のリハウス」のリハウスガールに抜擢され、ファッション雑誌の専属モデル、2008年には映画「魔法遣いに大切なこと」(中原俊監督)に主演して注目を集めた山下リオさん。映画「書道ガールズ!!わたしたちの甲子園」(猪股隆一監督)、」連続テレビ小説「あまちゃん」(NHK)などに出演。「ウェールズ国際子ども映画祭2024」で最優秀主演女優賞を受賞した映画「雪子 a.k.a.」(草場尚也監督)が2025年1月下旬に公開される山下リオさんにインタビュー。 【写真】山下リオさんにインタビュー
■中学・高校時代は仕事の度に徳島から東京に通っていた
徳島県で三姉妹の末っ子として生まれた山下さんは、一番やんちゃで、野山を駆け回るお転婆な少女だったという。一番上の姉は、俳優の大塚千弘さん。姉妹揃って地元の劇団に入り、山下さんは小学校2年生の時に初めて舞台に立ったという。 「姉の真似をしたかっただけで、自分には向いてないなってすぐに気づきました。当時から姉はキラキラしていて、主人公を演じていましたが、私は名前さえない役で。いつしか周りから『大塚千弘の妹』って呼ばれるようなり、『私にだって名前があるのに…』という、ちょっと反骨心のようなものが芽生えていくのは感じていました。 それまで、家がわりと厳しくてテレビドラマをあまり見てこなかったんですが、初めてちゃんと見たのが『オレンジデイズ』(TBS系)で、柴咲コウさんのお芝居に衝撃を受けて。『女優さんってこうゆうことだ』とも思いましたし、初めてテレビの中にいる自分を想像した瞬間がありました」 山下さんは、14歳の時に「オレンジデイズ」の柴咲コウさんが所属していた事務所にスカウトされ、翌年「三井のリハウス」の12代目リハウスガールに選ばれ芸能界デビューを飾る。 ――わりとすぐに三井のリハウスガールに決まって、ドラマや映画にも出演されるように 「そうですね。早かったと思います」 ――三井のリハウスガールに決まったお披露目の記者会見で司会をさせていただいたのですが、まだ15歳。記者のリクエストで、阿波踊りのポーズをされたのが初々しくて、可愛らしかったです 「記憶も曖昧(あいまい)ではあるのですが、いざ芸能界に入らせていただくと、実際に何をしたらいいのか分からないことが多くて、本当にあの当時は流れ流され…みたいな感じで、言われるがまま阿波踊りポーズもしますし(笑)。とにかく笑顔でいることをがんばる!みたいな心意気であの場にいたなとは思います」 ――まだ中学生でしたが、大きな仕事が次々に決まって。芸能界の先輩でもあるお姉さまに相談されたりは? 「相談はしませんでした。大好きで頼りになる姉でしたが、別の事務所で別々に出るということは、自分の名前が世に出るまでというか、活躍するまでは隠したいっていう、どこか負けず嫌いな精神があったんですよね。だから私は名前も『山下リオ』という芸名に変えて。 それでも18歳で上京するまでは、仕事のたびにずっと徳島から通いでやっていて、その間三姉妹で住んでいたりしていましたけど、やっぱり家族ですから。妹として、仕事よりもっとふざけた会話をしていたと思います(笑)」 ――大塚千弘さんがお姉さまだということは、3、4年前まで知りませんでした 「そういう方が多いです。公表してから10年も経ってないので」 ――お二人ともご活躍されていていいですね。三井のリハウスのキャンペーンガールをされていた時には、いずれお芝居の方へということは考えていたのですか 「お芝居をしたいとは思っていましたが、職業としてずっと続けることは考えてなかったです。俳優としての未来より、思春期だったこともあり、自分自身と戦っている時間の方が長かったです。 お仕事をいただけているから頑張ってやっているという感じで。それも当時の私なりに一生懸命頑張っていたけど、今の私から見れば、頑張りが足りない。頑張り方さえ知らない幼い子どもだったなとは思います」