震災から13年…福島・浪江町の今とビッグプロジェクトの全貌
「福島第一原発」は今…現実を伝え続ける東電マン
13年前に未曾有の事故を起こした福島第一原子力発電所。東京電力は、去年、原発の汚染水から大半の放射性物質を取り除いた処理水の海洋放出に踏み切った。 福島第一原発では、史上類を見ない廃炉作業が進み、燃料デブリを取り出す工程に入ろうとしていた。燃料デブリとは、原子炉から溶け出た核燃料などが冷えて固まったもので、極めて高い放射線を放つ。デブリの取り出し作業は最大の難関といわれ、今年度中に着手する計画だったが、3度目の延期が決定した。廃炉に向けた道のりは途方もなく険しい。 そんな福島第一原発の現状を、ありのままに伝えようと奔走する人がいた。 1月上旬。福島第一原発の構内に到着したバスから降りてきたのは、福島県在住の人たち。彼らが案内されたのは見学用デッキ。そこから見えたのは、水素爆発を起こした原発の建屋。その距離約は100メートル。これは、毎月地元住民向けに開かれている視察・座談会だ。 この見学デッキの被ばく線量は、1時間滞在したとして、「胸のレントゲン1回分」と同じ程度。除染作業が進んだため、普段着のままで問題ないという。
参加者を案内しているのは東京電力HD福島第一廃炉推進カンパニーの木元崇宏さん。 原発のリスクや廃炉の現状を伝える専門職だ。木元さんは入社以来、新潟・柏崎刈羽原発を皮切りに、一貫して原子力畑を歩んできた。そして2010年に赴任したのが福島第二原発。翌年、木元さんはここで東日本大震災に見舞われる。 実は福島第二原発も津波によって危機に瀕していたが、懸命な復旧作業で大事故を免れた。その時、木元さんは広報班の一員として情報発信の最前線にいた。 「自分たちで想定した地震や津波、自然災害…絶対大丈夫だと思っていた。大丈夫だという建物を造って、何重もの電源のバックアップを作って設計してあるという自負もあったが、結果的には事故を起こしてしまった。自分の中で信じていたものが崩れていった」。 木元さんは震災以降も、広報として原発の現状を伝えてきた。