震災から13年…福島・浪江町の今とビッグプロジェクトの全貌
今回のテーマは、「ふるさとを諦めない!~震災から13年 復興への道~」。 東日本大震災から13年。福島第一原発にほど近い福島・浪江町は、今も帰還困難区域が町の75%を占める。現在の住民は2000人余り。震災前と比べると10分の1にまで減ってしまった。そんな浪江町に再び人を呼び戻そうと、最先端の巨大工場が稼働した。製造するのは“世界最大級の木造建築物”を支える重要なパーツ。「今だからこそ、世界に福島の力をアピールしたい」。ふるさとを復興させるため立ち上がった、福島の挑戦者たちを追う。 【動画】震災から13年…福島・浪江町の今とビッグプロジェクトの全貌
「福島の杉を世界中の人に!」復興に向けた浪江の新たな挑戦
2月18日、福島・浪江町。津波で大きな被害を受けた請戸地区に、この地にゆかりのある約200人が集まった。津波による請戸地区の死者・行方不明者は154人、家族を失った人も多くいる。 1300年以上の歴史がある苕野神社も被災。津波で社殿が流されたが、13年ぶりに再建され、この日お披露目された。豊作・豊漁を祈り、毎年冬に開催される安波祭は300年以上続く伝統行事だ。
懐かしい仲間との再会…踊りに参加した2人は幼なじみだが、それぞれ避難先で進学し、浪江町に戻る予定はないという。子どもが踊りに参加していた家族も、いわき市に家を買ったため戻る予定はないと話す。なぜなのか…
復興に向けて歩んでいる浪江町だが、西側に広がる赤いエリアが帰還困難区域で、いまだ町の75%に上る。現在浪江町で暮らすのは2162人(1月末時点)で、震災前の10分の1。避難した人たちに浪江町に帰還したいか聞いたところ、戻らないと決めているが50%、まだ判断がつかないが25%を占めていた。 そんな浪江町に戻ってくる人、居住者を増やすために必要なのが、雇用の場の創出だ。
浪江町の海沿いに国家プロジェクトの一環としてできたのが、棚塩産業団地。そこに、国内最大級・最先端の工場「ウッドコア」が誕生した。 立ち上げたのは、朝田英洋さんと相澤貴宏さん。主に福島県産の木材を扱う。そこにはある狙いがあった。 「福島県産材を広く普及できる活動として、我々の工場が機能していくといい」。