「美談ではない」引きこもり時代を振り返って── 山田ルイ53世が保護者に伝えたい本音
お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さんは、勉強もスポーツも万能だった「神童」から一転、中学2年生から約6年間、引きこもり生活を送りました。今だからこそ語れる親への思いや、子どもが不登校や引きこもりになった時、保護者はどんな心構えでいるとよいか、自身の考えとメッセージをいただきました。
「しばらく放っておいてくれと思っていた」
自覚がないままに張り詰めていた糸がプツンと切れてしまい、夏休みの宿題にまったく手をつけず、学校に通えなくなった山田さん。 自分の中に根強く残る『神童感』からくる自己肯定と、周囲とのギャップへの焦りや不安からくる自己否定を繰り返し、躁鬱(そううつ)のような状態に苦しみます。 親から見ると「優秀で従順な息子」で、空気を読むことにもたけていましたが、引きこもっていた期間、特に最初のころは、親に対して「しばらく放っておいてくれと思っていた」と言います。 「放っておいてくれたら、ちゃんと夏休みの宿題を終わらせて、また普通に学校に通うから、ちょっとくらい休ませてと思っていましたね。ただ、明確に言えるのは、当時、僕が望んだように親が静観していたとしても、引きこもり続けたという事態は変わらなかっただろうということ。 僕の場合は自分の内面の葛藤(かっとう)から引きこもっていましたから、親に見守られようがうるさく言われようが、結局は同じだったと思います」
専門家のサポートを、もっと気軽に受けたかった
勉強するまでにやらなければ気が済まないルーティンが膨大になり、勉強にたどり着くことさえできなくなっていた当時の状態は、のちに専門家から「強迫性障害(強迫神経症)」だったのだろうと言われます。躁鬱のような状態もあり、「気軽に相談できる場所があればよかった……かもしれない」と山田さんは言います。 「カウンセリングを受けるとか、メンタルクリニックに通うとか、専門家の心理的・精神的なサポートを、もっとオープンに気軽に、ポップな感覚で受けられればよかったなと今は思います。当時からそのような環境はあったのかもしれませんが、少なくとも山田家においては、そういうサポートを受けるという選択肢は思いつきませんでした」 さらに、専門機関にかかることの必要性について、こう続けます。 「風邪をひいたら病院に行って薬をもらうのと同じ感覚で、当たり前にそういう機関にアクセスできるようになれば、当事者も家族も、気持ちがずいぶんラクになるんじゃないかと思いますね。一方で、どういうところに相談すればいいかわからないケースもあると思うので、そのあたりの整理も大事やと思います」