「美談ではない」引きこもり時代を振り返って── 山田ルイ53世が保護者に伝えたい本音
『美談』にすることには違和感がある
最近は引きこもりや不登校の子どもたちと接したり、保護者向けに講演したりする機会も増えている山田さんですが、自身の体験を「『美談』として語られるのには違和感がある」と言います。 「引きこもりは悪ではないですし、いじめや暴行、誹謗(ひぼう)中傷などで深く傷付いて、通えなくなってしまうケースだってある。それ自体は決して悪いことではありません。かと言って、あくまで自分が引きこもったケースについてですが、前向きにとらえているわけでもありません。 中には、引きこもったことで得るものがあったり、いい出会いがあったり、それが仕事につながっている人もいると思います。そういう人がいてもいいし、そういう人が多いほうがすてきだとも思います。でも、無理やり『美談の着地』としてきれいごとで済ませるのも、それはそれで違うのではないでしょうか」
保護者がすべてを背負うことはできない
結婚し、現在は2児の父となった山田さんは、「保護者という立場に多くのことが求められすぎている」と感じています。 「保護者は、我が子のことを無条件にかまったり心配したりするだけで十分だと感じています。小言だって言っていいと思いますよ。だって、言ったらあかんと思うと余計にしんどいですもん。親になったからといって、突然、徳の高い、高尚な人間になれるわけじゃないですから」 では、保護者には何ができるのでしょうか? 「できることがそんなにたくさんあると思わないほうがよいかもしれません。何とかしてあげたいと思う気持ちは理解できますし、当然ですが、人の心理や行動を、外から劇的に変えるというのはとてつもなく難しい。子どもも一人の人間ですから。保護者にできるのは、環境を整えるとか、選択肢を示してあげるとか、そういうことではないでしょうか。万能薬なんてないのですから」 さらに、子どもが落ち込んでいても「保護者まで落ち込む必要はない」と続けます。 「『子どもが引きこもっているんやから、私も落ち込まなきゃいかん』という空気感って、あまりよくないと感じていて。趣味でもなんでも、これまでどおり楽しんだらいいと思います。 子どものころは、親には親の人生があるなんて俯瞰(ふかん)して見られませんでした。でも今は、家族みんなで苦しむ必要はないと思っています。簡単ではないでしょうが、子どもが引きこもっても、不登校になっても、保護者や家族はこれまでどおりでいいのではないかなと。『オレが苦しんでいるのに、お前ら(親御さん)だけ楽しみやがって……』と反発を買うかもしれませんが、トータルで考えると、家が暗くなるより好ましい状態かと思うんです。親はもっと楽に生きていいと、心からそう思います」 (全3回・終 聞き手/文:笹原風花)