米国はなぜ日本より豊かなのか?コロナワクチン開発の速さを見れば納得するしかない
カリコーは、1985年に家族とともにアメリカへ移住する決断をした。当時、彼女は英語をほとんど話せず、また十分な資金も持っていなかった。 アメリカに到着した後、1985年から1988年の間、フィラデルフィアのテンプル大学で博士研究員を務めた。その後、ペンシルベニア大学で職を得ることができた。彼女はここでmRNAを用いた治療法の開発に注力した。ただ、この研究は、当初は広く受け入れられるものではなかった。彼女のアイデアはしばしば却下され、資金調達にも苦労した。 ● ナチス・ドイツの非寛容主義は みずからの首を絞める結果に 2013年に、彼女はビオンテックに移籍、2016年にはシニアバイスプレジデントとなり、mRNAベースの治療法の開発をリードした。ビオンテックは後にファイザーと協力してコロナワクチンを開発したのだ。 カリコーの場合に限らず、アメリカで進められた多くの科学的・技術的開発は、移民によって行なわれた。 こうしたことは、日本では不可能だ。まず、就労ビザが得られないだろう。だから、日本国内で仕事ができない。仮に入国できたとしても、大学で専門的な研究の仕事を得られるとは考えられない。
日本では不可能なメカニズムが働いているという意味で、アメリカは無限の可能性を持った社会だ。 アメリカは、もともと移民が作った国だ。そして、多数の有能な人々を引きつけてきた。第2次世界大戦の初期の段階においては、ナチによる迫害を逃れてヨーロッパからアメリカに亡命した科学者が、アメリカの科学基盤を強化した。 それに対して、非寛容主義は、現代社会では馬鹿げたほどに高くつく。ナチの劣等民族根絶政策の最も大きなコストは、優れた科学者がドイツや近隣諸国から逃げ出したことだ。彼らの多くはアメリカに渡り、アメリカの科学技術水準を短期間のうちに急激に向上させた。 それだけではない。民衆が離反したのだ。ナチの軍隊がソ連領内に侵攻した最初の段階では、ドイツ兵士は解放者として歓迎されることもあった。その傾向は、ソ連政府から抑圧を受けていたウクライナやバルト三国において、とくに顕著だった。ロシアでさえ、ボルシェビィキからの解放を約束すれば、民衆はナチ側についた可能性があったと言われる。 だがナチは、ウクライナのユダヤ人を絶滅に近いほどまでに殺害した。非ユダヤ系のウクライナ人も、500万人ほど殺害した。