ヤマザキマリ ナポリであきらかにぼったくろうとしているタクシーにあえて乗ってみたら…留学、結婚、美しい景色。偶然の出会いに人生を変えられて
漫画家・文筆家として活躍するヤマザキマリさんは、17歳のときに単身でイタリアに渡って以来、フィレンツェ、シリア、ポルトガル、アメリカなど、様々な土地で暮らしてきました。そこで出会った人との思い出を綴った著書『扉の向う側』が11月に刊行。古代ローマの魅力を伝えてくれたフィレンツェのカメオ店夫妻、リスボンのアパートの頑固で親切な隣人、キューバの海岸で夜を共に過ごした娼婦…。多様な人たちの生き様が映画のワンシーンのように鮮やかに描かれています。彼らとの出会いがマリさんの人生にどのような影響を与えたのでしょうか? 見知らぬ人との偶然の出会いが持つ“ご縁の力”について、じっくりと語っていただきました。今回はその前編です。 【写真】「(タクシーの運転手が)ぼったくろうとしている。わかっていても、あえて乗ってみたくなるんです(笑)」と話すマリさん * * * * * * * ◆見えている世界なんて、ちっぽけ 『扉の向う側』というタイトルの“扉”というのは、私がこれまでの人生で出会ってきた人たちを表しています。 世界のあちこちで偶然出会った人たちが、ふとしたきっかけで自分たちの扉を開けて、それぞれの過去や抱えている問題を見せてくれる。それによって私は世界の広さは目に見えている物理的なものだけではない、ということを痛感してきました。 国が変われば価値観や倫理観もまったく違ってきますから、苦悩や喜びも皆それぞれ。そんなことも含め、世界というものが、自分が見ているものよりも、はるかに大きいということを気づかせてくれた人たちとの出会いを描いたのがこの本です。
◆人生の重要な出来事が列車での出会いで決まった 今の私の人生を作り上げてきたのは「絶対」と言い切れるくらい、人との出会いによるものです。 「親は選べない」という言葉の通り、人生で最初に出会ったのが自由奔放に生きた母です。母は生まれ育った土地を離れ、自力で北海道に渡り、自分の生きる世界を開拓してきたエネルギッシュな人間です。 その母に「貧乏しても絵をやりたいのなら、それを理解してくれる人のいる場所を見て来なさい」と、14歳のときに約1カ月間、フランスとドイツをひとりで旅に出されました。子供を信頼していなければできない提案ですが、周りからは「なんてことやってるんだ」と散々非難されたようです。当然ですよね。 でも、その旅に出されたおかげで、ブリュッセルからパリに向かう列車の中で、イタリア人の陶芸家であるマルコ爺さんに偶然出会いました。私が1カ月も欧州を旅しているのに、イタリアを端折っていると知って激怒されました。全ての道はローマに通ずという言葉を知らんのか!と(笑)。 その後、母とマルコの陰謀で、日本の高校を途中で辞めてフィレンツェの美術学校に留学。その18年後にはマルコ爺さんの孫と結婚したわけですから…。私の人生におけるとても重要な出来事の数々が、たった一瞬の、偶然の列車の中での出会いで決まってしまったという。
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