「近所のお店の人たち、みんな患者さんですよ」東京・新大久保、「多国籍な」街の歯科医
同じく中国人の韓佳敏さん(20)は内モンゴル自治区出身で、漫画「ワンピース」をきっかけに日本に興味を持ち、日本語を学ぶようになり、ついには留学生となった。 「ここで働くのは日本語の勉強にもなります。新大久保は日本人の女の子も多いですよね。韓国のアイドルはぜんぜんわかりませんが、料理は好き」 鴻一さんが愉快そうに言う。 「実はふたりとも、もともと患者さん。治療しながら観察しているうちに、この子たちはきっとよく働くはずだって思って、スカウトしたんです」
歴代のアルバイトたちは台湾人、中国人の留学生たちだ。こんなスタッフたちが、ネパール人の患者にも日本語で「オダイジニー」と言って送りだす。休憩中は鴻一さんが近所のイスラム系の食堂で買ってきたスパイスたっぷりのチキンをみんなでつつく。台湾の小吃(シャオチー)屋の店長から治療の予約が入れば「じゃ、ちまき5個お願い」なんて、ついでに注文を取ったりする。なんともふしぎな空間なのだが、この混じり合いとゆるやかさが、新大久保なのだ。
日本を愛した両親のもとで
「父は親日家というより『愛日家』だったかもしれない」 日本の植民地時代に生きた鴻一さんの父は、根っからの日本びいきだったのだという。日本の雑誌を定期購読し、スポーツの国際試合になると日本の応援をしていた姿をよく思い出す。
父は念願だった日本の大学の医学部を受験して見事に合格するのだが、第2次世界大戦が起きてしまう。やむなく留学を断念した父の気持ちを、鴻一さんは受け止めていた。だから幼いころから医学を志すようになる。 鴻一さんを見ていた父が「もし自分だったら、結果が見えやすい歯科医を選ぶかなあ」と話したことがあったのだそうだ。痛みを取りのぞく、噛めないものを噛めるようにする。ホワイトニングや矯正など、治療が明快な歯医者はどうだろう。そんな言葉から、鴻一さんは高雄医学院(現・高雄医学大学)で歯科を学びはじめた。 母の実家の影響も大きかった。 「日本人向けの食材や雑貨の店だったんです。近所のさとうきび工場で働いている日本人が、よく買いに来たそうです」 戦後になって日本人は引き揚げていったが、日本の「文化」は鴻一さんの家に残った。小さいころから食卓には味噌汁が並び、白玉にきな粉をつけておやつにしたり、祖母がニシンの昆布巻きをつくってくれたりするような、そんな家庭。 鴻一さんが日本への留学を決めたのは、自然なことだったのかもしれない。台湾と日本は国交がないので大使館代わりの日本台湾交流協会の奨学金を受けての留学生となった。1983年のことだ。父の後を継いだような気持ちだった。 「福岡空港に降り立った瞬間に、涙が出ました」 留学先は長崎大学の大学院だ。入学したその年に、日本の国家試験に合格し、歯科医師免許を取得した。