「近所のお店の人たち、みんな患者さんですよ」東京・新大久保、「多国籍な」街の歯科医
「夢だったしね。日本でずっと暮らすつもりで、台湾にいるときから勉強していたんです」 その夢を後押ししてくれた父は、大学院を出たばかりのころに亡くなった。 「喜んでもらえる期間が、ちょっと短かったかな」 鴻一さんはぽつりとつぶやいた。
目標は「日本でいちばん国際的な歯科」
来日してから埼玉県の大宮で歯科医として働いていた鴻一さんは、東京・渋谷の教会で恵美子さんと出会う。クリスチャン同士、信仰が結んだ縁だった。1990年にふたりは結婚したが、恵美子さんはちょっと不満そうに言う。 「そういえば、まだプロポーズしてもらってない」 「まあ、成り行きと雰囲気でわかるでしょう。日本人なら『以心伝心』って言うじゃない」 そうおどける鴻一さんの台湾名は、陳鴻勲(チェン・ホンシン)だ。恵美子さんは「ホンシン」と呼んでいたのだが、それを聞いた日本人が「星野さん」と聞き違えをすることがよくあった。 「だったら、星野でいいか」
結婚と同じ時期、日本国籍を取得するときに、そう名前を決めた。夫婦になったふたりが、新大久保にやってきたきっかけは、歯科の専門誌だった。新大久保の歯科クリニックが外国人患者の急増に言葉の問題からうまく対応できず、安く売りに出されているという記事を読んだのだ。 「歯科医は競争が激しい業界です。なにかオンリーワンのものがないと生き残れない。それは自分の語学力じゃないかと思っていたところに、この記事。ふしぎな巡り合わせですよね」 こうして鴻一さんと恵美子さんは「日本でいちばん国際的な歯科」を目指して、新大久保で開業した。急激に多民族集住が進む新大久保の時流にも乗って、街の人々に重宝されるようになっていく。
クリニックの「背骨」
「私だけ『純ジャパ』だって、よくみんなに言うの」 患者の大半も、スタッフも外国にルーツを持つ人。だから恵美子さんはときに「自分ひとりが日本育ちの日本人」という状況にもなる。それを「純ジャパ」だと楽しげに表現する。 日本にいながらここでは「純ジャパ」が少数勢力のわけだが、それもまた面白いようで、クリニックからは恵美子さんの明るい声がいつも聞こえる。てきぱきと郭さんや韓さんに指示を出し、鴻一さんと打ち合わせ、患者たちにも話しかけて和ませつつ、院内を軽やかに差配する。そんな恵美子さんに、街の姿が重なる。