パワハラでクビになった名門ラグビー部元監督が海外で見た、選手と指導者の対等な関係性
家族にさんざん迷惑をかけ、家庭も崩壊に向かっていった。 「それでもまだ足りないのか。これ以上、俺に何を望むのか?」 憤りのあまり、そう叫びたくなったこともある。 そうしたなか、私はいつの頃からか、「あえてその十字架を背負い、自分なりにけじめをつけなければならない」と思うようになった。 「もう現場の指導には関わらない」 これが、私が出した結論だった。 ● 「日本からいなくなりたい」 ラグビー強豪国への留学を決断 ラグビー指導の現場から離れる以上、もう自分に居場所はない。ということは、このまま、ここにいても何も変わらない。日本にはもう自分の活躍できる場はないのだから、海外に行こうと私は考えた。 そうなると、いてもたってもいられない。何かやらなければ、自分自身がおかしくなりそうだった。 一刻も早く海外に行きたい。 一刻も早く日本からいなくなりたかった、というほうが正しいかもしれない。 私はニュージーランド、オーストラリア、フィジーに留学することにした。いずれも世界的なラグビーの強豪国で、ニュージーランドやオーストラリアは私も何度か訪れたことがある身近な国だ。
フィジーにも、私のかつての教え子で、柔道のナショナルチームの指導者として活躍している人がいる。 このままではいけない――。 私はせき立てられるように、最初の留学先であるニュージーランドに向けて旅立った。2017年春、私が56歳のときだった。 約1年間におよぶ海外生活を始めた。主にニュージーランドに滞在しながら、オーストラリアとフィジーにも足を延ばした。 ニュージーランドは、2024年5月末時点でラグビーワールドランキング3位(男子)である一方、日本は12位と、実力的に大きな差がある。 オーストラリアには約3ヵ月間滞在した。高校のラグビー部の監督で、セブンズ(7人制ラグビー)ナショナルチームのヘッドコーチも務めた知人の手配で、同国最古の名門校・シドニー大学の寮に宿泊し、教員・学生たちと寝食をともにした。 ラグビー指導者・教員として市内の高校5校を訪れ、教育システムやコーチングを学ぶ一方、語学学校にも通って英語に磨きをかけた。 ● 指導者とフラットな関係ゆえ 選手に「やらされ感」がない 現地の教育やラグビー指導の実態を知り、私は驚いた。指導者と選手との関係がじつにフラットなのだ。彼らの練習風景を見ていても、コーチと選手、監督と選手という感じがしない。