パワハラでクビになった名門ラグビー部元監督が海外で見た、選手と指導者の対等な関係性
流通経済大学付属柏高校ラグビー部の創設時から指導し、強豪校に育て上げた松井英幸氏。全国大会である花園に21年連続23回出場の実績をつくるも、生徒への指導がパワハラ問題に発展して監督を解任された。パワハラ報道時の胸中や、ニュージーランドで見た新たな指導者と選手の関係性について、松井氏が語る。本稿は、松井英幸『パワハラで人生をしくじった元名監督に学ぶ 変わる勇気』(アチーブメント出版)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 学校への匿名の通報で 無期限の謹慎処分に パワハラ問題をきっかけに、私の人生の歯車は大きく狂い始めることになる。 それは、全国高校ラグビー大会開幕前日、2014年12月26日のことだった。 私は、その日の練習で、気の抜けたプレーをした3年生の選手を、全員の前で怒鳴りつけ、彼の胸を小突いた。彼にケガはなかった。 チームの中心選手として期待していたから、つい手が出てしまったのだ。 匿名の通報があり、翌年1月に大会が終了してまもなく、学校側から事情を聞かれた。私には体罰の認識はなかったが、「それが暴力だと取られるなら間違いはない」と認めた。「パワハラ」の発覚後、私は無期限の謹慎処分となった。 そして私は1月31日付で監督を解任され、ラグビー指導の現場を離れた。 テレビや新聞などの大手マスコミで全国にニュースが流され、「Yahoo!ニュース」でもトップニュースになるような大事件になった。パワハラ問題がマスコミ沙汰になったことで、私は教員の地位までも失うことになる。 SNSなどにも、私を批判、中傷する投稿があふれるようになっていた。
私にもいい分はある。だが、だからといって、いい訳はしない。実際にメディアの取材でも、「手を出したことは事実だ」と話し続けてきた。 これが、社会的制裁というものなのだろう。 まもなく、私は流経大柏高校から流経大本体への異動を命じられた。 夜に人目を忍んで荷物をまとめて高校の教員室を出て、大学に引っ越しをすませた。引っ越しを手伝ってくれたのは、私の教え子だ。 大学では1室をいただいたが、2年間、ほとんど仕事がなかった。私に「とにかく静かにしていてほしい」ということだったのだろう。 ● 当時は怒りしかなかった 周囲すべてが敵だった 今思えば、大学側も私の処遇に相当悩んだはずだ。あれだけ世間を騒がせたのだから、無理もないことだ。温情ある処遇には感謝している。 ただ、当時の私にしてみれば、怒りしかなかった。 この私も及ばずながら、付属高校、大学本体の進学率や競技力の向上に役立てればと考え、全力で頑張ってきたという自負がある。私がどれだけの思いで、この流経大柏高校ラグビー部を立ち上げ、全国に名だたる強豪チームに育て上げてきたかを理解してほしかった。 もっといえば、「スポーツの流経」の実績と評価をつくり上げたのは、この自分だとさえ思っていた。