全ての人が安心して過ごせる未来を―山田悠史先生が高齢者診療の道に進んだ原体験
社会の高齢化が進むなか、高齢者特有の問題に専門的に向き合える医師が求められています。しかし、老年医学や高齢者診療を専門とする医師の数は少なく、その需要に反しています。今回は、アメリカ合衆国・ニューヨークにあるマウントサイナイ大学病院 老年医学・緩和医療科でアシスタントプロフェッサーを務める山田悠史先生に、老年医学の道に進まれたきっかけや高齢者診療の現場で感じるやりがい、今後の発展に向けた取り組みを中心にお話しいただきます。 ※本記事は、日本慢性期医療協会との連載企画「慢性期ドットコム」(https://manseiki.com/)によるものです。
◇診療姿勢の原点―今も追い続ける父の背中
私の医師としての原点には、村でたった1人の医師として、地域の人たちの診療にあたっていた父の姿があります。夜中でも早朝でも、電話がかかってくれば、患者さんを助けるために父はすぐさま家を飛び出して行きました。けがであれ病気であれ、何かあれば患者さんのもとに駆けつける父の後ろ姿を、物心ついた頃からずっと近くで見てきました。父の医療に対する思いがどのようなものだったのか、直接聞いたことはありませんが、このような父の姿を見ているうちに、自然と今の私の診療姿勢が築かれていったのではないかと思います。 医師になってから、父が長年にわたって診ていた患者さんからお話を伺う機会があり、「薬をもらわなくても、先生の顔を見ただけで病気がよくなる気がします」という言葉を複数いただきました。医師と患者さんの信頼関係としてこれ以上のものはないと思いますし、素晴らしい褒め言葉だと感じます。この話を伺ったのは、私が医師になったばかりの若い頃のことです。やはり父にはかなわないと思うと同時に、父のような医師を目指したいと思ったものでした。 父は私にとって越えられない壁ではありますが、追いかけ続ける目標があるのは幸せなことだと感じます。
◇年齢で一括りにする治療に覚えた違和感
私が老年医学の道に進んだのは、日本の病院で働いているときにふと覚えた違和感がきっかけでした。治療方針を決めるカンファレンスの中で、「85歳だから、この治療はもうやらないほうがよい」と、患者さん自身の状態ではなく年齢で区切って結論づけられることが多々あったのです。 しかし、実際には同じ85歳であっても、自身の足で歩ける人もいれば、寝たきりで動けない人もいます。他者との身体的な共通点は生まれたときがもっとも多く、年齢が上がれば上がるほど共通点がなくなっていき、個人差が広がるといわれています。ですから、85歳ともなれば、年齢による身体的な共通点はもうほぼないものと考えられます。状態がまったく異なる人たちを年齢だけで一括りにして治療方針を決めることは、生物学的に正しいのだろうかという違和感を何度も抱いたのです。 エイジズム(年齢差別)は医療従事者の中でこそ大きいという指摘もあります。しかし、当時の私はその違和感について理路整然と説明できず、カンファレンスで反論することができませんでした。うまく伝えられないというもどかしさがあったからこそ、老年医学について学びたいというモチベーションにつながったのです。