「日本でエステサロンやろう」中国・大連出身の物理学専攻SEが即決した理由とその後に味わった"天国と地獄"
東証プライムに上場する化粧品メーカー・アクシージア。創業者で社長を務める段卓氏は、なんと中国の大連出身。日本で起業した彼を待ち受けていた「修羅場」体験とは――。 【写真】アクシージア設立直後の段氏 ■ビジネスとは縁のない家庭で育つ アクシージア 社長 段 卓 創業からずっと順調だった事業に急ブレーキ――私にとっての修羅場は2013年からの3年間。サロンもダメ、化粧品も儲からない。あの時期は全部が全部ダメでした。 現在のアクシージアの主力事業は、日本製というブランドを武器にした化粧品事業です。主な市場は私の出身国でもある中国。もともとはエステサロンの事業から始まりました。 私は中国東北部の大連出身なのですが、中国の北の人間というのは基本的に保守的で、あまり商売っ気がありません。両親は医者で、ビジネスとは縁のない家庭で育ちました。 ■ビジネスを志すようになったきっかけ お堅い環境で育った私がビジネスを志すようになったきっかけは、厦門(アモイ)大学への進学です。福建省にある厦門は、中国で最も早く設立された経済特区の一つ。経済活動が活発な街で、学校の友人たちも、みんな起業を目指していた。物理学を専攻していた私も、そんな環境で刺激を受けました。当時の憧れの人物は、孫正義さん。彼の日記や本を読んで、自分も野心を抱くようになりました。 大学を卒業した後、来日。経営学を学びました。ただ、すぐに何かができるわけでもないし、何か技術を身につけたわけでもありません。結局、最初の会社にはシステムエンジニアとして就職をしました。
■「エステサロンを経営しないか」と友人に誘われ起業 「エステサロンを経営しないか」と大学時代の友人に誘われたのをきっかけに起業。まったく知識のない美容業界で、しかも女性向けのビジネスです。店舗スタッフは20代の女性。経営者である3人は男性で、お店には立ち入りません。ただ、おかげで自然と経営に集中できたのがよかったのかもしれません。創業後は順調に売り上げが増え、店舗を増やし事業を拡大。創業してから10年で、グループ売り上げは50億円弱、最大50店舗を構えるまでになりました。 ビジネスが大きく成長した12年の暮れ、私たちは分社化に舵を切ります。事業が大きくなるにつれ、経営陣3人のやりたい方向性が少しずつ違ってきたからです。 私は会社を大きくしたいと考えていました。理由は中国で起業した学友たち。彼らはもっとスケールの大きなビジネスを展開しており、会うたびに「私もやるぞ」と触発されていたのです。 ■分社化した後に事業を拡大、修羅場の始まり 分社化した後の13年。自分ですべて決断できることになった私は勝負に出ます。一気に5店舗を増やし、引き継いだ店舗を合わせて25店舗まで事業を拡大しました。ただ、ここからが修羅場の始まりでした。 いきなり事業を大きくしたためか、まず組織がガタガタになりました。エステサロンの従業員は20代、30代の女性です。出産や育児などのライフイベントが重なり、これまで事業を支えてくれた一人前の社員が十分に稼働できない。規模を拡大しても、人材が不足する状況に陥ったのです。 また、スマホの登場も大きかった。情報が平等にみんなに行き渡るようになり、安いエステに消費者が集まるようになりました。昔であれば高単価で契約を取れたエステの単価が、一気に下がりました。結果として、売り上げもガクッと下がってしまいました。