【わが子がウソをついた時】親がすべき「いちばん子どものためになる行動」とは?
マハトマ・ガンジーが行った、非暴力の運動。それは単に暴力を避けるだけでなく、人々の心を動かす大きな力を秘めていた。そう語るのは、マハトマ・ガンジーの孫・アルンだ。幼少期を祖父と過ごし、多くのことを学んだ彼は、祖父の教えを綴った著作『おじいちゃんが教えてくれた 人として大切なこと』で、非暴力を貫くことの効果を実感したと語っている。本記事では、書籍の内容をもとにマハトマ・ガンジーの教えを紹介する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部) ● 真の非暴力の効果とは 暴力を振るわれても反撃しない──これが一般的に考えられている非暴力の姿かもしれない。 しかし、ガンジーの非暴力にはさらに深い意味があった。 非暴力とは暴力に暴力で返すことなく、淡々と主義主張を伝えていくものだと思っていたのだが、マハトマ・ガンジーが貫いた姿勢にはもっと大きな力が秘められていたようだ。 そのことを教えてくれたのは、マハトマ・ガンジーの孫、アルンの体験だ。 彼の父もマハトマ・ガンジーの教えにならって、非暴力の環境でアルンを育てた。 あるとき、父親が会議に出席するため街に行くことになり、アルンが車で送って行ったそうだ。 めったに街に行くことのないアルンは、この機会に映画を見たいと思っていた。しかし、両親はきっと許してくれない。 そう思ったアルンは、父親に内緒で映画館に行く。 約束の時間を過ぎるまで映画に夢中になっていた彼は、アルンを心配しながら待っていた父親に本当のことを言えず、「車の整備が終わっていなかった」と嘘をつく。 しかし、整備工場に電話していた父親は、そのことが嘘だと知っていた。そこでアルンに次のように告げた。 「今日、おまえがウソをついたのはとても残念なことだ。でも、これは私の責任だ。親として、真実を言う勇気と自信をおまえに与えられなかったのだから。だから自分への罰として、家まで歩いて帰ることにするよ」(P.192) ● 非暴力だからこそ感じた罪悪感 アルンがどれだけ謝っても父親は決して歩くのをやめなかった。 アルンは、ヘッドライトで父の歩く道を照らしながら、のろのろ運転でついて行くしかなかったという。 アルンは、当時のことをこう振り返る。 結局、家に着くまでには六時間もかかった。父も歩くのは大変だったと思うが、私にとってあれはまさに拷問だった。自分のウソのせいで、父が目の前で罰を受けているのだ。父は私を叱るのではなく、自分で罪を引き受けた。(P.193) 想像するだけで苦しくなるような状況だ。自分の浅はかなウソのために、父親が六時間も歩いて帰るなんて。 しかも、決して息子を責めるわけではなく、「自分が息子に勇気を与えられなかった」「教育が間違っていた」と告げる。 このことを振り返りながら、アルンは「もし父が私を罰するほうを選んでいたら、どうなっていただろうか?」と自問自答する。 私は恥ずかしいと思い、罪悪感は持たなかっただろう。 そしてその恥ずかしさは反発につながり、私は何かで仕返しをしてやろうと思ったかもしれない──または、他人に八つ当たりしたくなったかもしれない。(P.193) しかし、そうはならなかった。全ては自分の行いによるものだと、アルンは受け入れ反省することができた。 これぞ、非暴力の力だろう。 ● 非暴力の力は子どもを大きく成長させる 子どもをしつける場合、非暴力を貫くより、怒ってしまったほうが楽なことはたくさんあるに違いない。 しかし、アルンの父は、「自分と息子の問題」として一緒に考え、問題を解決するためにはどうしたらいいかを考えた結果、このような行動を取ったのだろう。 きっと、息子を自分より下に見ていたり、自分の付属物のように思っていたりしたら、このような行動をとることはできなかったのではないだろうか。 非暴力のメッセージは、深く相手に自省を促すのだと感じるエピソードだ。 ガンジーの行った非暴力の運動が、どうして世界を動かすほどの影響力を持ったのかがわかる、身近な例だったのではないだろうか。 ● 子どもへの愛は、行動で伝えられる アルンの父が非暴力の子育てを貫けたのは、ガンジーも非暴力で子育てをしたからだ。 さらには、ガンジー自身も、自分の両親から「非暴力の子育て」という価値観を受け継いでいた。 ガンジーの両親も、やんちゃだった若き日のガンジーを暴力で罰することはしなかったという。 そして、その親の愛がガンジーの非暴力という考えを大きく育てて行ったのだ。 非暴力の子育てがガンジーの価値観を育て、その後の偉大な行動へとつながっていった。 そう思うと、一人ひとりが非暴力の子育てをすることが、大きく世界を変えることにもつながっているかもしれない。
ダイヤモンド社書籍オンライン編集部