2度五輪出場も「ケイリン」では不完全燃焼…現役最多909勝の競輪界レジェンド・神山雄一郎が引退
現役最多の909勝を誇る競輪界の“レジェンド”神山雄一郎(56)が24日、都内で記者会見し、現役引退を表明した。1988年のデビューから36年。KEIRINグランプリ16度出場、G1制覇16度の、ともに史上最多記録を残し、1996年アトランタ、2000年シドニー両五輪にも出場した。 ************ 競輪では王者と言われながら、2度の五輪では結果を残すことができなかった。生真面目過ぎた性格のせいだろう。オフの時でも自宅で、朝から晩まで競輪や自転車競技のビデオ、DVDを見っぱなしだとも言われていた。生活の全てが自転車だった。 96年アトランタ五輪では1000メートルタイムトライアルでの出場が有力視されたが、すい星のように現れた十文字貴信に選考会で敗れた。しかし、なかったはずの「スプリント」枠が転がり込み、出場。だが、モチベーションの低下は明らかだった。得意とする1000メートルではなくスプリント。それでも国民は競輪界のスーパースターに期待してしまう。そのプレッシャーはあった。 00年シドニー五輪は新種目として「ケイリン」が採用された。日本で生まれたケイリンだけに期待は高まった。この時、選手団の旗手として名前が挙がっていて、私も自信を持って記事を書いたのだが…。お家芸の「ケイリン」、メダル獲得が至上命令だった。しかし、責任感が強すぎるがゆえに、重圧に負けたのだと思う。本来の力を出し切れないまま、五輪を終えた。競輪と国民の期待を背負う五輪では重圧が違い過ぎる。もう少し、楽に走れる環境であったならばと思うと残念だ。(競輪担当・永井 順一郎) ◆神山と五輪 自転車競技にプロの出場が解禁された1996年アトランタ大会男子スプリントに出場し1回戦、敗者復活戦ともに敗退した。2000年シドニー大会では男子オリンピックスプリント(現・チームスプリント)と男子ケイリンに出場。スプリントでは5位入賞もメダルが期待されたケイリンは1回戦6位。敗者復活戦ではトップでゴールしたが、斜行による走路妨害で降格となり涙を流した。04年アテネ大会出場に意欲を燃やしたが、代表入りはならなかった。
報知新聞社