仁支川峰子「26年前、栃木の集中豪雨で新築1ヵ月のマイホームを失った。復興時には日頃のつき合いに感謝して」
28日に東京でテレビ番組の収録があり、当初は28日の早朝に家を出る予定でした。ところがふと、前日のうちに上京しておいたほうが楽かなと思い立ち、バタバタと支度をして27日の19時に家を後にしました。 いつもなら当時飼っていた4匹の犬の世話を通いのお手伝いさんに頼むところ、「今日は雨がひどいから来なくていいわ」と電話で伝え、犬たちも車に乗せて東京の事務所兼自宅へ向かったのです。 28日の生放送中に、ニュースで自宅が流されたことを知り、咄嗟の判断で家を離れて本当によかったと胸をなでおろしました。命あるものがみんな助かったのですから、これ以上いうことはありません。 那須の自宅へ帰れない間、テレビの報道番組で見た映像は衝撃的でした。氾濫した余笹川(よささがわ)の水がすさまじい勢いで流木を運んで橋をなぎ倒し、濁流が下流付近の水田や家屋をのみ込んでいくのです。 なにより那須に住む人たちの人柄に惚れたところがあったので、「隣家のあの人は大丈夫だったのかしら」と心配する日々。 地元の警察から、「お宅が崩壊状態になっています」と連絡を受けたのですが、わが家は余笹川の支流である多羅沢川(たらさわがわ)沿いに立っていたので、被害を免れないことはわかっていました。 それに、ニュースの映像で崩壊した自分の家を見ていたのです。テレビのレポーターが私の家に勝手に入り込んで中継をしていたんですよ。これって不法侵入じゃないの? と、めちゃくちゃになった家を見て落ち込むよりも、その行為に対する怒りが大きかった。 一方、隣家のおばちゃんがワイドショーでインタビューを受けている様子をテレビで見て、「無事だったんだ!」とひと安心。 とにかく家に帰れるまではどうすることもできないので、淡々と仕事をこなしました。ステージ衣装は那須の自宅に保管していたので知人に借りて。 当時はジャージが流行っていたので、収録でもどこへ行くにもジャージで過ごしていました。これはこれで楽でいいな、と思ったものです。(笑)