日本のトップ選手でも手を焼くF2、その難しさはどこに? 福住仁嶺&伊沢拓也が苦闘の日々を振り返る
30歳目前で欧州に。“ステップダウンした”感覚に思い悩んだ伊沢
一方の伊沢に関しては、渡欧するまでの流れが福住と異なる。10代からヨーロッパに渡り、GP3、F2とステップアップした福住は育成ドライバーの王道を進んでいたと言えるが、伊沢はフォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラ、スーパーGTといった国内レースで既に経験を積んだ状態でのGP2挑戦だった。渡欧時29歳、シーズン中には30歳に。当時は子供も生まれたばかりだった。 伊沢がARTグランプリからGP2に参戦した2014年は、ホンダが“第4期”のF1活動をスタートしたばかりの頃。そのホンダから声をかけられてGP2を戦うことになったわけだが、成績は振るわずランキング18位。上記のように日本のトップカテゴリーで経験を積んだ上での参戦という特殊な状況下でモチベーションを高く保つことができず、自ら帰国を申し出たという。 「僕は日本のトップカテゴリーを長くやってからGP2に行ったので、日本で言うスーパーフォーミュラ・ライツ(スーパーフォーミュラのひとつ下のカテゴリー)に乗っているような感覚になってしまいました。下のカテゴリーに乗っているような感覚だったんです」 「レースウィークのスケジュールも、メインがF1ですから、GP2は合間合間の変な時間にセッションがあったりしました。チームに関しても、日本のようにドライバーが走りやすいセットアップをするというよりは、ドライバーを育てるという意味で、『うちのセットアップでこうやって走れ』というスタイルでした。日本のトップのカテゴリーにいた僕としては、感覚的に……少し下に落ちたような感覚があって、そこにモチベーションをうまく合わせ込めなかったのが正直なところです」 「ちょうど30歳になった年で、子供も産まれたばかりでした。僕はそういったGP2の環境に対応できなかったので、その年の夏くらいにはホンダさんに『日本に戻ってレースをしたい』と伝えました」 「年齢も含めて、あのタイミングで自分がGP2に行ってF1ドライバーになれるとは思っていませんでした。隠すことでもないので正直に言うと、(欧州に)すごく行きたい! というよりも、少し悩みながら行った部分がありました」 国内トップカテゴリーからF2に、というキャリアパスに関しては伊沢と宮田は共通していると言えるが、「GP2の1年がうまくいかなかったのは自分の反省ですが、宮田選手はGTでもフォーミュラでもチャンピオンを獲っていて、まだまだ若い。通用して欲しいなと、純粋に応援したいですね」とエールを送った。 ■SFとF2、マシンの違い スーパーフォーミュラとF2は、共に“F1に近いカテゴリー”のひとつとして、それぞれの車両の比較などがしばしば話題に挙がるが、伊沢も福住も、F2のマシンは乗りこなすのが難しいマシンだと感じていたという。 「日本のスーパーフォーミュラと比べると、あまり良い車ではないというか……」と言うのは、GP2時代の2011年からF2初年度の2017年まで使用されたダラーラGP2/11をドライブした伊沢。彼はさらにこう続けた。 「跳ねるというか……もうステアリングを押さえている作業の方が多いですよね」 「縁石とかの衝撃をもろに受けてしまって、ダンパーが吸収してくれないんですよ。パフォーマンスが低いクルマに乗っているような感じで、僕はそういうものに対応しきれなかったですね」 また伊沢より1世代新しいダラーラF2 2018(2023年まで使用)に乗っていた福住も、「クルマの走らせ方は、F2とSFで全く違う」と語り、F2の方が扱いづらいのだと説明した。 「SFの方が空力(ダウンフォース)もあるし、タイヤの使い方もそれほど難しくないです。クルマを普通に走らせること自体はあまり大変ではないと思います。パワステもついていますし、空力があるのでロール感もなく、車体も軽いし、タイヤのグリップも高いです」 「良いクルマほど、慣れるのは簡単だと思います。スピード感にさえ慣れてくると、そこから走らせ方もわかると思いますし。F2から来たドライバーも、SFに来てもパッと乗れますよね」 「F2は車体は重たいですし、ダウンフォース感が全くないです。SFの方がバランスとしてはピーキーだったりすると思いますが、F2は重たいので全ての動きが遅く、どこまで限界に迫れているかのフィードバックを感じるのが難しかったりするのかなと思います」 「パワステもないのでステアリングも重く、舵角も大きい、そしてブレーキの踏力も大きい中で、限界を探らないといけないんです」
戎井健一郎
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