旧日本海軍の呂500潜水艦を発見(全文1)若狭湾水深88mの海底に沈んでいた
場所を特定して、発見に至るまで
で、これに至る道は、若狭湾といっても広うございますから、どこにあるかっていうことが、広い海をずっと探さなくちゃならないんですけども、それはとても大変なことです。で、われわれが知っていたデータは4つあります。1つは米国海軍が残している海没処分【位置です 00:11:47】。それはここだと言ってます。あとでそのデータをお見せします。それから3年前に福井の水産試験場がここに船が沈んでいるっていうのを発見しました。で、これはシンヤマっていう漁場なんですけども、これは潜水艦かもしれない。しかしそれは、聞くところによると戦前からそこが漁場だったということになると、その船は戦前から沈没していたかもしれない。よく分からないこと【があった 00:12:16】。しかし、長さ的にはちょうど70メートル。で、それらしい形をしているということはすでに分かっています。それから舞鶴の漁師さんたちはここに〓ウラシマショウ 00:12:26〓という釣り場があるんですけども、ここが潜水艦が沈んでるんじゃないかということの情報が入ってます。 それからさらに重要なのは、深田サルベージ建設が今から40年前にここを調べました。その結果、呂の68と伊の121はここにあるということが内部資料に残っているのが、つい4カ月前に分かりました。それは深田サルベージ建設に教えてもらったんですけども、そこに至るストーリーが非常に長くて、今日申し上げてると30分ぐらいかかるような、ここに至るまでのストーリーがあるんですけども、しかしあとでこれは説明いたします。 で、次に米軍の資料をお見せしたいと思いますが、これは米軍が海没処分したリストです。で、緯度経度が書かれていて、この一番最後が【**Maidsuru 00:13:52】と書かれてますね。で、これは【Destruction by thinking of Japanese submarines 00:14:02】と書いてあって、緯度経度が書かれています。で、これとこれとは同じで3艦同じですね。呂の68、呂の500、それから伊の121と書かれています。で、座標はこれです。しかし日にちが違います。日にちが、われわれの知っている日にちは4月30日なんですけども、これは5月7日って書かれてます。で、これが正しいのかどうかなんですが、実はこの上のほうに、ちょっと載っけてないんですけども、五島列島沖合のデータが載っています。そのデータは日付、ちょっと間違ってるところもあるんですけども、座標位置はほとんど正確にそこの座標に沈んでいました。で、これは違う人たちが書いたものだと思うんですね。沈めたグループが違いますから。で、ここはあんまり信用できないんではないかっていうのと、この位置を信用すべきだというのといろいろジレンマがあるということでございますね。で、先ほど書いていた、お見せした防衛庁の防衛研究書の潜水艦史では、1946年の4月30日と、こう書かれています。で、どうやらこっちのほうが正しいんではないかなというふうに思うところでございます。 ちょっと前に戻りまして、この写真はアメリカの資料から取ってきたものですが、実は最初これを教えてくださったのは、私をTwitterでフォローしてるこの【ACJ 00:15:37】さんが、この写真があるということを教えてもらいました。送ってくださいました。で、この写真を、実はアメリカの資料から探していたところ、そこに書いてあるところには、実はこの若狭湾で沈めた情報というのは非常に少ない。ほとんどないっていうふうに書かれています。で、五島列島沖合ではもういろいろデータがあっていろんなこと分かってるんですけど、例えばそのドキュメントがどうもはっきりしない。アメリカの公文書からもっとよく調べれば出てくるかもしれませんけども、あまりよく分かっていないというふうに書かれています。で、このことが先ほどの米軍のデータがあまり信用できないなっていうことにもつながってくるんです。