日本人ライダー7人目の世界チャンピオンとして最高峰MotoGPクラスへ!! 小椋藍【最新インタビュー】
佐藤ことぶきのレース通信
2024年、日本のロードレースシーンで最大の話題と言えるのが、小椋藍がMotoGPロードレース世界選手権Moto2クラスでシリーズチャンピオンを獲得したことだろう。Moto3、Moto2と過去2回、タイトル争いを繰り広げた経験を活かし、見事に世界チャンピオンに輝いた。15年振りの快挙を成し遂げた小椋に2024年シーズンと初めて乗ったMotoGPマシンについて語ってもらった。 【画像】アプリリアのMotoGPマシン「RS-GP」でテスト走行する小椋藍
チーム、タイヤ、マシン、大きな変化があった2024年
2024年シーズン、小椋はチームを移籍、マシンもカレックスからボスコスクーロに変わった。さらにMoto2クラスのタイヤはダンロップからピレリになるなど大きな変化があった。シーズン序盤は、ボスコスクーロにアドバンテージがあるように見えたが実際は、どうだったのだろうか。 「いろいろ変化があったことは、結果的に良い方向に進んだと思います。ただ、シーズン序盤は、自分のスタイルで走って、それが合ったライダーが上位を走るという展開でした。リアタイヤに関しては慎重になりましたが、フロントタイヤは、もっと使っていいものだったので、もうワンステップ使えないときは予選のポジションに響いていました。その後、レースが進むにつれて、ピレリタイヤをどう使えばいいのか理解度が進んでいくと、どれだけ状況に合わせる力があるかがポイントの一つになっていましたね。5、6戦を終えたころには、タイヤとマシンの理解度が上がり、チームメイトに対しても“強み”になっていたと思います」 ──安定した速さと強さを見せ2024年シーズンMoto2クラスを制した小椋藍。これが自身にとってキャリア初のシリーズチャンピオンだと言う。間もなく24歳の誕生日を迎え、MotoGPクラスへのチャレンジを開始する。 そのシーズン序盤は、チームメイトのセルジオ・ガルシアの調子がよく、第3戦アメリカズ、第5戦フランスで優勝を飾り、チャンピオンシップをリード。小椋は、徐々にタイヤとマシンの理解度を上げ、その差を縮めていく展開となっていた。 そんな変化のあったシーズンは、9人のウイナーが誕生する混戦となった。そんな中、小椋は、着実に結果を残していく一方、ライバルは転倒などでノーポイントの多いレースが続いていた。 「ポイントがバラければ安定感のある方が(タイトルを争う上で)強いので、自分自身のチャンピオンシップに対する考え方も相まって、そこは良い方向に進んだと思います。あとは、みんな自分よりは、ワンレース、ワンレースという考え方をしていたようなので、予想以上に取りこぼしの多いシーズンだったことが有利に働きました。行く引くの塩梅は、1番うまくできたと思います」 2024年シーズン、小椋の戦い方を観ていると、勝てないときはココまで、という“線引き”がうまかった。これは1994、1998年と2度、125ccで世界チャンピオンとなった坂田和人氏が言っていたが、そのレースの状況を把握し、トップが見えていたとしても、無理をして転倒するより2位を選ぶと。コレができるライダーがチャンピオンになれると。小椋も過去Moto3とMoto2でチャンピオン争いを繰り広げた経験を活かしていた。 シーズン中盤となる第8戦オランダ・アッセンを制し今季2勝目を挙げ流れを引き寄せたかと思われたが、第10戦イギリスでタイヤトラブル、第11戦オーストリアでは初日にトップタイムをマークしながら、土曜日のプラクティス2で転倒。右手を骨折してしまったため、欠場を余儀なくされてしまう。 「(右手骨折の)折れ方がキレイだったのが不幸中の幸いでした。2週間後にあったアラゴンでは、どれだけ乗れるか分からない状態でしたが、走ることができてよかったです」 ケガから2週間後の第12戦アラゴンで復帰を果たした小椋は、痛み止めを処置して決勝を走った。トップ10を目標にしていたが、8位でゴール。タイトルを争うガルシアは、トラックリミットのペナルティを受け、ピットに戻りノーポイントとなった。そして第13戦サンマリノGPでは、強さを見せた小椋は今シーズン3勝目をマークし、ポイントリーダーに浮上。その後、その座を譲らず第18戦タイで栄冠を手に入れた。