SNS総フォロワー数65万人超、天文物理学者BossBが「間違えること」を奨励する理由
情熱のおもむくままに生きたいし、子どもだって同じ
ドイツの研究所に勤めていた研究者の、育休明けの復帰先はスポーツジムだった。計画や目標、人生設計……そういったことは全く考えない、と笑う。子育てに関しても、“こういう子どもに育って欲しい”といった目標や願望を考えたことはないそうだ。 「ないって! (笑) 私は計画性のない人間だから、ない! だって私自身が、自分で納得したうえで、自分の情熱が向く方向に生きていきたいと思うタイプだから、それは子どもも同じだろうと思うんです。周りにこうしろって言われて、あなたはその通りにできますか? 親や周りの思い通りに、子どもは育たない」 しかし、自分の子どもが何に対しても情熱を持っていないように見えたら? 多くの親は子どもに、何かひとつでも光るものを見つけたいと考えている。 「どんなに親が一生懸命に頑張っても、例えばうちの子だったら私の言うことを聞くわけがないんですよね。なにかを紹介することはできても、やるかやらないかは彼らの自由。だから、私ができることはいろんな選択を見せてあげることぐらいかな。 例えばうちの息子が恐竜が好きだった時期は、それこそアメリカじゅうの博物館に連れて行ってあげた。でも私は息子に考古学者になって欲しいわけでもなかったし、大きくなった今の息子が恐竜に興味があるわけでもないです。一方、恐竜を通した体験が、今の息子を形成した貴重な一つの要素であることは間違いありません」
親が子どもにしてあげられること
「世の中にはこんなことも、こんな楽しいこともあるんだよって、子どもに紹介することは大人にできますよね。それを知ってどうするのか、それがその子のキャリアにつながるのかは分からないけど、私は息子たちを小さな頃からいろんなところに連れて行って、いろんなものを見せてあげたいと思ったし、いろんな考え方に触れさせてあげたいと、今も考えています。現在の息子たちはどうやって生きていこう、と悩み続けていますが、二人とも自分の頭で考えることができる、多様で柔軟な思考をもつ素晴らしい子たちですよ」 離婚がきっかけで、日本の実家に一時帰国している間に、学術界への復職を考えはじめた。自然豊かな長野県に住んでみたいな、と思っていた矢先に信州大学のポストが空き、ふたりの息子を連れて長野に引っ越しをした。 「信州は本当に美しくて、長野の山には息子たちと登りまくりましたよ。冬はスノボをやって、夏はキャンプ、息子たちは学生とも仲良くなってよく一緒に遊びましたね。国内外へ旅行もたくさん行きました。特に東南アジアはよく行きましたね。海に潜ったり、ジェットスキーでアイランドホッピングしたり、ジャングルをトレッキングしたり」 その後、長男はニューヨークの高校、次男は東京の中学校に編入。多文化多言語の背景で育った息子たちの教育環境として、長野は最適ではないという判断をした、という。そして信州と東京を行き来するようになった。東京は東京で江戸時代からの歴史があちこちに残る文化的な環境が気に入って、「次男と自転車で街を探索しまくった」という。 「コロナ禍になって街を歩いている人も減ったし、ちょうどいいと思いました。でも下の子が中2、その頃は『親に無理矢理に連れ出されてる』みたいな態度で、いやいや付き合ってもらっていました」 思春期の到来。何を言っても学ぶ姿勢はないし、なんでこんなところに来なきゃいけないんだ、お母さんと一緒に行動するのが恥ずかしい、と考えていることが手に取るように伝わってきたという。急に兄がニューヨークに行ってしまったのも、精神的ダメージがあったのだろうとBossBさんはいう。