結党60年、岐路に立つ公明 前途多難の斉藤体制【解説委員室から】
公明党は17日、結党60年を迎えた。衆院選に続き、来年夏の参院選と東京都議選でも目標議席を下回れば「三大選挙」で全敗となり、支持母体の創価学会内で、選挙への取り組みを見直す動きが出る可能性がある。斉藤鉄夫代表の下で再出発した公明党は、岐路に立っていると言えよう。(時事通信解説委員長 高橋正光) 【ひと目でわかる】政党支持率の推移 ◇池田氏創設「大衆の党」 公明党は1964年11月、創価学会の池田大作名誉会長が創設した。当時は「自民党・大企業」「社会党・労働組合」の2大ブロックを中心とした55年体制下。池田氏は、結党の目的として、「大衆」「庶民」の利益代弁を掲げた。学会員の大多数が、比較的所得の低い「大衆」「庶民」だった事情もある。 結党の経緯から、公明党の当初の政治路線は「中道」。政治情勢に応じ、「自民寄り」「社会寄り」と軸足を移すことはあったが、非自民の連立政権に参加した一時期を除き、野党の立場を貫いた。 その公明党が立ち位置を180度変えたのが1999年10月。自民、自由両党と連立樹立で合意しての小渕恵三政権入りだ。路線転換の大義名分は、参院で与党が過半数を回復することによる「政治の安定」。以来、民主党政権時代を挟み、自公の連立は21年以上に及ぶ。 そして、連立を下支えしてきたのが両党の選挙協力。自民党は一部の衆院小選挙区を公明党に譲り、他の大多数で公明党の支援を受ける。公明党は候補者を立てた選挙区で自民党の支援を得るとともに、他の選挙区では自民党候補を支援する見返りに、当該候補の支持者や団体を回り、比例票の上積みを図る内容だ。 ◇09年に小選挙区撤退論 ただ、学会にとって、全国の組織を総動員して公明党候補の支持拡大に励みつつ、自民党候補も支援しながら、公明の比例票の上積みにも取り組むことは、かなりの負担。こうした事情もあり、09年衆院選で公明党が8小選挙区で全敗するなど大幅に議席を減らし、自民党ともに野党に転落すると、党や学会内で「小選挙区からの撤退」がささやかれた。落選した太田昭宏氏に代わって代表となった山口那津男氏は就任直後、小選挙区からの撤退について「選択肢としてあり得る」と述べている。 連立を組む自民党と共に逆風にさらされたことから、同党と距離を取り、活動の幅を広げる狙いとみられた。最終的には、小選挙区からの撤退論は立ち消えとなり、自民党との連携を維持。12年衆院選で議席を回復し、与党に返り咲いた。 当時は、創設者の池田氏は健在。15日には池田氏の一周忌という区切りを迎えた。参院選、都議選の結果次第では、学会員の間で、小選挙区からの撤退を含めた選挙対応の見直しを求める声が広がる可能性は十分あるだろう。