91歳、幸せなひとり暮らしの「最期の夕食」。亡くなる前日の娘との会話、X投稿の内容
最後の会話は、前日の夜。食器について話した
亡くなる前日もいつもと同じように会話し、なにも変わったことはありませんでした。電話越しに、食器が好きな母から、「買いたいと思う食器があるんだけど、ものはもう増やしたくないから…」と話がありました。それなら、買った方がいいじゃない、増えたっていいじゃない、と私は話しました。 だって、Xに食事の写真を投稿するし、そういうのが楽しいんでしょ? と母に言ったら、「うん、次に見つけたら買おうかな」と言いながら、その日は電話を切りました。その日はXでも、夕飯の写真を投稿したり、おやすみなさいとつぶやいていたので、まさか、こんなに突然にという驚きがありました。 訃報を聞いてロンドンから急遽帰国しました。近所の人から母の家の電気がついていないことや、Xに投稿が上がらないことで、心配になったと連絡をもらったのです。そのおかげで、すぐに鍵を開けてもらい、母の様子を見に行ってもらえました。 そのときはベッドの上で息を引き取ったあとでしたが、発見は早かったと思います。前々から、なにかあったときのために、同じ団地の人に鍵を預けておいたり、母の知人と連絡先を交換していたりしたので、本当に助かりました。
亡くなる前日までXで食事を投稿
じつは、Xを始めてみればと母に勧めたのは私ですが、母がやり始めてからは私がほとんどXをやらなくなってしまったので、投稿の様子などは電話で聞いていただけだったんです。 亡くなる1か月前ぐらいからは、食事の写真を投稿していました。投稿するようになってから、より食事の彩りを考えるようになったと話してくれました。 17年前に胃がんになってから、食生活にすごく気をつけていた母は、食事の彩りをよくすることで栄養バランスもよくなると考え、体にいい食材を積極的に取り入れていました。 投稿用に写真を撮るときに、「このお皿の方がいい」「赤がたりないから、トマトをたそう」「緑は左側に入れた方がきれい」と、考えるのが楽しいと言っていました。 ひとりで食べるだけじゃなくって、Xという場を通じて共有することは、右脳を使う芸術的センスが養われるような気がします。脳にも健康にもいいことだと思っていました。
ESSEonline編集部