「こういう意味じゃない…」都知事選”ほぼ全裸ポスター”がミスリードする「性教育」
7月7日の都知事選告知のあとに起きた選挙ポスター問題は、三浦春馬さんの肖像権や名前を勝手に利用したポスターまで貼られるなど、「選挙」を利用したあまりに身勝手な行動が驚きをもって報じられている。その中のひとつが“ほぼ全裸ポスター”。撮影対象となっていた女性がSNSでお詫びをしていたが、彼女ひとりでやったことではないだろう。なによりも「性のタブーをなくす」という意味が完全にはき違えられてはいなかっただろうか? 【こんなに種類があるって知ってた?】避妊具の種類は10個以上! 性と生殖に関する健康と権利(SRHR)について国内外の大学院で学び、世界会議にも参加してきた福田和子さんが改めて「性のタブーをなくす」という意味について寄稿する。
「性のタブーをなくす」とは
「性をオープンに」「性へのタブーをなくそう」 昨今、そんな言葉を耳にした人も少なくないかもしれない。そして私自身、性と生殖に関する健康と権利(SRHR)や包括的性教育の普及活動の中で、そういう言葉を発信してきた張本人のひとりだ。 しかし、6月20日「こういう意味じゃない……」と愕然とした。都知事選挙戦のポスターだ。既に様々なメディアで報道され、あえて詳細には触れないが、ほぼ全裸の女性の写真が選挙戦のポスターに使われた。ほぼ全裸という視覚的な問題だけでなく、候補者は、そのポスターを使い、性のタブーを覆しているかのようなメッセージを発していた。警察は、都の迷惑防止条例違反に当たると「警告」を出し、候補者本人によってポスターは剝がされたようだ。 ポスターが剝がされたから、すべて解決? いや、今回、私の心には、大きなもやもやが残った。それは、「性にオープンという解釈は、極論ああいう露骨さが思い描かれるのか?」ということである。私の中ではもちろん答えは「否」なのだが、「性にオープンに」=「あのようなもの」と勘違いし、不安を抱く人も多いと、実感する部分があるからだ。 というのも、私が「#緊急避妊薬を薬局で」のアクションや包括的性教育、性と生殖に関する健康と権利(SRHR)について活動する中、「最近、性にオープンにって言われるけど、それってすべて赤裸々に話さなきゃいけないことですか?」とか、「隠したい人もいるのでは?」とか、そういう質問をよく受けるからだ。 また、「性教育をやろうよ」、という話も、反対する人たちからは、「過激」「性が乱れる」と言われたりする。確かに、性をタブーにせず、オープンにすることの末路があのポスター掲示のような状況だと感じていれば、それは不安になったり、反対もしたりすると思う。私だって、反対だ。 しかし、包括的性教育や性と生殖に関する健康と権利(SRHR)に取り組む人たちがいう、「性にオープンに」は、ベクトルが全く異なっている。 性の権利や包括的性教育の文脈で言われる「性をオープンに」は一体どういうことなのか、深堀りしたい。「性をオープンに」「性へのタブーをなくそう」という言葉に、内心、不安や違和感を感じていたな、という人にこそ、読んでいただけたらとてもうれしい。