河井夫妻逮捕の本質――案里氏を当選させた有権者と選挙制度
選挙の責任
参院改革は何度も叫ばれてきた。 その過半数を衆院と同じ党がもっていれば「カーボンコピー」と、反対の党がもっていれば「ねじれ国会」といわれ、参院不要論まで登場する。とはいえ一院制にも、一挙に偏った方向へ走り過ぎる心配が残る。 参議院は本来、党派を超えた個人の見識によって、衆議院の行き過ぎをチェックし、クッションとなり、バランスをとる機能をもつものだ。 そういった機能を果たす議員に、大金を注ぎ込んでの選挙運動が必要だろうか。むしろ選挙運動をしない人こそを選ぶのが本筋ではないか。 参議院は全員無所属でいい。ウグイス嬢も、ビラ巻きも、応援演説も、選挙カーも禁止すべきだ。本人だけの街頭演説と、新聞やテレビやインターネットによる政見表明と討論会で十分だ。演説や政見表明は参謀の知恵がはたらくかもしれないが、顔の見えるテレビ討論会なら、その場で本人の口から出る言葉しかない。何度も行えば、メッキもはげるしボロも出て、本人の実力と人柄があらわになるだろう。メディアの発達している今日、いくらでも方法はあるはずだ。 議員たちは、コロナ禍を機会にテレワークやキャッシュレスといったデジタル・トランスフォーメーションを進めるといいながら、自分たちがよって立つ基盤に関しては旧態依然というのもおかしいではないか。 まず参院から考えるのは現実的である。当然ながら、議員の数を減らす、経費を減らすことが第一歩。それが政治家の質の向上にもつながる。こういった根本的な改革は、親から地盤を引き継いだ、つまり古い制度によって立つ二世・三世議員には無理な相談かもしれない。自分の首を絞める可能性もあるから野党議員も及び腰だ。 国民の負託を受けた権限を有する機関を、国会とは別建てにつくれないものだろうか。