河井夫妻逮捕の本質――案里氏を当選させた有権者と選挙制度
政党の責任
河井夫妻の原資は自民党から出ているのではないか。党からの選挙資金が他の候補とは一桁違う。 そもそも案里氏が、どうしても国政に参加させたい逸材であったとは思えない。党中枢がなぜこれだけ肩入れしたのか不思議なぐらいだ。そしてその中枢の示唆がなければ、あれだけ大規模な買収はできなかったとも思われる。案里氏の選挙ではあったが、実際に金を配ったのはほとんどが夫の克行氏であり、彼は首相ときわめて親密な関係であったという。そう考えれば、いわゆる仲間主義が金権主義と結びついた事件であり、むしろ案里氏は一つの駒に過ぎなかったとも思える。 しかし政権批判をすれば一件落着というわけでもない。そこは反骨のジャーナリストにまかせ、ここでは政党とその資金について考えたい。本来政党とは、志を同じくする政治家が、その政策を実現するためにつくるものであって、選挙資金を配るためにあるのではない。 あちこちから金を集めることが批判されて「政党助成金」というかたちで多額の税金を使うことになったのだが、これは無所属や小党の候補者に不利な不公平な制度である。買収事件の登場人物たちを、国や地方の代表にするのも残念だが、そこに大量の血税が注ぎ込まれるのはさらに腹立たしい。
国民の責任
そして最後の問題は、案里氏が当選したことである。つまり有権者が彼女に投票したことである。 影響力の大きそうな人ほど多額の金を渡したといわれる。つまり金額、影響力、票数が比例関係にあると考え、実際そのとおりだったのだ。広島県の各家庭に大量のビラが配布されたともいう。 つまり有権者は、政見や人格によってではなく、誰かに頼まれたからとか、実際にあるいは画面や紙面でその人を見たことがあるから、といったことを基準に投票しているのだ。残念ながらそれが、広島に限らず日本の選挙というものの実態である。 これを改めなければ本当の民主主義は根づかないと、道徳を説くように言うのはやさしい。しかしどうだろう。民主主義のモデルのような顔をしているアメリカで展開されている大統領選の報道を見れば、むしろポピュリズムに傾く危険が大いにあると感じざるをえない。 日本は日本的な民主主義でやっていくほかはない。政治思想や論理より人情で動く日本人の国民性を断罪するのではなく、この国の現実に適した選挙制度に改めていくことを考えるべきだろう。