「ママチャリで園の送迎をしていたら…」主婦が50歳で競輪選手に!おおいなる転身の理由が明らかに「漫画のような話ですね」
ちょうどそのころ、1964年に廃止された女性の競輪競技が「ガールズケイリン」として復活することを知りました。プロ選手養成所の募集要項には、年齢制限の上限がなかったんです。「絶対に行きたい!」と思ったものの、そのとき私はすでに48歳。内心、難しいだろうと思っていました。でも。家族は「合否にはこだわらず、とりあえず受けてみたら?」と背中を押してくれて。受験したら、まさかの合格だったんです。10か月の寮生活を送ることになるため悩みましたが、娘たちは成人を迎え、手が離れていました。せっかくのチャンスをつかもうと、2011年、49歳でプロ養成所に入学しました。
■養成所では「外部とのやりとりは手紙だけ」 ── プロ選手養成所の生活はいかがでしたか? 高松さん:携帯電話やパソコンが持ち込み禁止の環境で、外部との連絡は手紙のやりとりのみ。朝から晩まである練習はとてもハードでした。でも、家事は自分の洗濯だけすればいいし、食事は上げ膳据え膳。自転車の練習だけに集中できるから、天国みたいだなと思いました(笑)。 当時、生徒の平均年齢は27歳でした。やっぱり若い人は練習したぶん、記録が伸びていくんです。私の成績は下から数えたほうが早いし、記録もなかなか伸びなくて…。でも、まずは現状維持することを目標にしよう、ひとつでもできることが増えればいいんだと思って続けていました。もし若いときだったら、ほかの人たちに先を越されて落ちこんでいたかもしれません。でも、そのときの私は50歳でさまざまな経験を積んでいました。多少のことではへこたれず、周囲の状況に振り回されず、目の前のことだけに集中できたと思います。
── 2012年7月、50歳でプロデビューしたときはどんな気持ちでしたか? 高松さん:最高齢でプロとなったので、周囲から注目されることが多かったです。でも、自分のできることをするしかないと思っていたので、プレッシャーはそれほどありませんでした。2012年12月に初めてレースで1着になったときは本当にうれしかったです。応援してくれた人たちもみんな喜んでくれて、ようやく恩返しできた気がしました。2013年、51歳での勝利は、ガールズケイリンでは最高齢勝利記録でした。