「まもなく準決勝!」半世紀見続けたレジェンド記者が高校サッカー選手権の魅力を語り尽くす
日本のサッカーを大きく変えた「Jリーグ」
静岡学園や清水東、清水商業などの静岡県勢や東京の帝京高校が覇を競い、さらに島原商業や国見、鹿児島実業といった九州勢が台頭した。そして、当時は将来の日本サッカー界を背負って立つべき高校生年代のトッププレーヤーが、数多くこの大会で活躍した。たとえば清水東の長谷川健太や大榎克己、堀池巧は「三羽烏」として人気を集め、サッカー専門誌の表紙を飾った。 それ以来、ずっと高校サッカーはサッカー界の冬の風物詩となってきた。 しかし、1993年にJリーグが発足してから日本のサッカーは大きく変化した。日本代表の強化は進み、今では森保一監督が「2026年の次期W杯で優勝を狙う」と公言するまでになった。 1970年代、80年代の高校サッカー黄金期とは取り巻く環境が激変したのだ。Jリーグや代表戦など大規模スタジアムを満員にするようなビッグゲームは珍しくなくなった。
クラブと部活動が併存する環境
野球をはじめ他の競技では、選手は高校や大学チームから育ってくる。それに対して、サッカーではJリーグクラブの下部組織(ユースチーム)出身が多い。Jリーグ発足直後は、やはり歴史の長い高校サッカーの方が優位に立っていたが、最近では日本代表入りする選手のほとんどがJリーグクラブ育ちになっている。 従って、高校サッカーに出場する選手は、必ずしも18歳以下の世代の最高レベルの選手ではなくなっているのだ。 もちろん、クラブチームと高校チームが併存しているのは日本サッカーの良さの一つ。中学時代にJリーグクラブで育った選手が高校チームに入ったり、その逆のコースを選択したりで、複数ルートが存在するのだ。リーグ戦形式でじっくりと育てられるJリーグクラブと、ノックアウト式トーナメントで勝負の厳しさをたたき込まれる高校チームにはそれぞれの良さがある。 そうした高校チームに全国から注目を浴びる大会が存在するのも、日本サッカーの大きな財産。ユース年代の大会にこれほどの大観衆が集まることは欧州では考えられないことだ。