小澤征爾さん 音楽祭「スタッフシャツ」に込めた思い 秘蔵エピソード【長野・松本市】
今月9日に開幕した「セイジ・オザワ松本フェスティバル」今年は総監督の小澤征爾さんが2月に亡くなってから初めての開催となります。地域と一体となった音楽祭を目指した小澤さんの人柄を伝える「秘蔵エピソード」をご紹介します。 2007年、松本市美術館で開かれたコンサート。若手演奏家が奏でるこの曲の途中で突然、ステージに駆け寄る小澤さんの姿を、カメラがとらえていました。 <モーツァルトのディベルティメントは、齋藤秀雄が繰り返し教えた思い出の曲> ■小澤征爾総監督(当時) 「俺が指揮したのはね、君たちが指揮が必要でしたんじゃなくて、あの曲を聞くと齋藤先生のことを思い出す。よく考えたら、この次いつ指揮できるか分からないと思ったら、どうしても指揮したくなっちゃって・・・」 いきなり登場した小澤さん。フェスティバルの「スタッフ」が着るポロシャツを着ていました。 ■小澤征爾総監督(当時) 「僕はね、肩も痛くて腰も痛いから、それをかばいながらやらなきゃいけない」 2002年、オフの日にメンバーとボーリングを楽しむ小澤さん。投げた玉の行方は…見事ストライク!この時もスタッフが着るポロシャツを着ていました。 ■小澤征爾総監督(1991年 開催発表) 「都会のノイズ騒音から離れて音楽に集中すべき。みんなが集まって合宿をしながら、そういうところで、音楽祭をやると」 世界的な指揮者として活躍していた小澤さんが、1992年からスタートさせた「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」、2015年からは「セイジ・オザワ・松本フェスティバル」OMFと名称を変更し、今に至っていますが、運営には「一貫した特徴」があるそうです。 ■SKF松本実行委員会 赤広三郎 元事務局長 「普通はどこの音楽祭でもそうでしょうけれど、自分(出演者)たちはアーティストとして参加する立場ですよね。だけどこのフェスティバルはサイトウ・キネン・オーケストラが主催する音楽祭という位置付け。自分たちはスタッフでもあるという認識なんですね」 市の職員としてフェスティバルの誘致に尽力した赤広三郎さんと、音楽祭を支えるボランティア組織をまとめた青山織人さん。小澤さんはまさに「神出鬼没」街のあちこちに顔を出したと振り返ります。 ■SKF松本ボランティア協会 青山織人元会長 「町内の人が一生懸命(フェスティバルの)バナーをかけていたんだって。そうしたら『ご苦労様』って言われたんだって。『何だこの人は』と思ったら小澤さんだった」 フェスティバルの期間中は小澤さんだけでなく、出演者もスタッフと同じ服を着るのが特徴で、「思いもよらぬエピソードが生まれた」といいます。 ■SKF松本実行委員会 赤広三郎 元事務局長 「事務局で参加者のメンバーに配るための資料作りをしていた。一生懸命スタッフがやっていたら、おばさんが来て『私手伝おうか?』と来たので『よろしく』とやった。誰もその人を知らない。『あの人誰?』と聞いたら『バイオリンの安芸晶子さんですけど』って 」 手伝いを名乗り出た安芸さんは、サイトウ・キネン・オーケストラでコンサートマスターを務める名バイオリン奏者でした! ■SKF松本ボランティア協会 青山織人元会長 「我々も後で気が付いて『音楽祭とはそういうもんだ』と思っていた。結構まれなことで世界的に見てもと後で聞かされて『なるほど小澤さんの思いとはそこにあったか』と思った」 今年2月に88歳で亡くなった小澤さん。 「出演者と地域が一つになった音楽祭をつくりあげよう」スタッフと同じ服を着ることで、その思いを示し続けたのかもしれません。