「親が障害者だから、僕を犯人扱いするのですか?」その場面を目撃した母親は──
すると、Mさんがバツの悪そうな表情を浮かべた。視線の先を追うと、そこには母が立っていた。どうやら近所の人が母を呼んだようだった。 母はMさんに不信の目を向けている。Mさんが障害者に偏見を持っていることは母も気づいていた。そんな人の前で息子が泣いているのだ。なにがあったのか、一目瞭然だったのだろう。 その場に母が来たことで、ぼくはすべてを諦めようとした。気弱な母から「もういいから、おうちに帰ろう」と言われるに違いないと思ったのだ。 けれど、そうではなかった。母はぼくの前に立ち、毅然(きぜん)と言った。 「わたしの耳が聴こえないから、わたしが障害者だから、息子をいじめるの?」 このとき母が発した声はうまく音にならなかった。それでも「いじめ」という単語だけが、はっきりと響いた。大人しいはずの母に反論され、Mさんが狼狽しているのがわかる。 Mさんはああでもないこうでもないと言い訳を並べていた。母はそれを真っ直ぐ見つめている。そして、母はお婆さんに「騒がせてごめんなさい」と頭を下げ、ぼくの手を引いた。 その手はとても熱かった。汗が滲んでいて、母の鼓動までも伝わってくるようだ。見上げた母の瞳には、怒りと哀しみが滲んでいるようだった。 それから数日後、Mさんが謝罪に来たという。それ以降、道端ですれ違うと、挨拶もされるようになった。その豹変ぶりが理解できなかったものの、母はうれしそうに会釈を返していた。 大人になってから知ったことだけれど、その後、母とMさんとは仲が深まったという。いまではお互いの家を行き来する茶飲み友達として付き合っているらしい。 その事実を知ったとき、思わず「あのときのこと、Mさんにされたこと、忘れたの?」と言ってしまった。すると母は「いつまで昔のことを言ってるの」ととぼけたように笑い飛ばした。 自分に偏見の眼差しを向けてきた他者を許す。それは決して容易なことではない。それなのに、母はどうしてそんなことができるのだろう。そのときのぼくにはうまく理解できなかった。