【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑨】与えられた仕事に夢を乗せれば120%の実力になる
89歳にして美容研究家であり、ふたつの会社の経営者として現役で活躍する小林照子さんの人生を巡る「言葉」の連載「89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉」。今回、お話しいただいたのは、「諦めない気持ち」についてだ。 娘を出産したあとも、仕事にまい進する小林照子さん。時代は高度経済成長期、女性の社会進出が社会現象となる1960~80年代、次々とヒット商品を世に出す。まだ男性中心の会社の中で、苦労しながらも着々と自分の世界を築いていく。そして1985年、コーセー初の女性取締役に就任。そんな中でいつも心がけていたこととは?
時代を見据えたメイクキャンペーンが大成功
「私は娘、浩美の子育てをしながらも、仕事の手を抜くことはしませんでした。特に大事故に巻き込まれて会社に迷惑をかけてしまった一件から、いっそう感謝の気持ちで仕事に打ち込みました(※大事故については、第8回<29歳で出産。仕事と子育ての両立で気づいたこと。「よくない出来事は軌道修正の合図?」>参照)。 1965年、私が30歳のときにマーケティング部に新設された『美容研究室』に配属されました。 時代はテレビの民間放送局ができて、テレビコマーシャルを打つなど情報の傾向が変化し始めていました。被写体となる俳優のほかに、新鮮な印象を持つハーフのモデルが続々と登場。団塊の世代の最大人口層が18歳になろうとしている頃でした。 そのため、各社はコンセプトを決めてキャンペーンを張り、ポスターや雑誌への掲載、カタログなどを作成して広告していきます。写真はキャンペーンイベントのひとコマ。舞台でお話をしているのが私です」 そんな時代の中、1966年に提案した「クッキールック」が話題になった。 「それまでの日本では、白い肌に赤い口紅が主流でした。しかし、ロンドンやニューヨークではヒッピーやサイケデリックアートなどが流行し始めている時代。その後、日本でもイギリスのモデル、ツイッギーが話題となりミニスカートが大流行しました。 『クッキールック』はこうした時代を先取りして、小麦色の肌にアイメイクで目元を強調し、色みの薄いベージュの口紅で仕上げるローコントラストのメイクで、ボーイッシュでかわいらしい女性をイメージしました。 クッキーはお菓子のクッキーです。当時は洋風のおしゃれな食べ物の象徴でした。翌年は『ココルック』、次は『タムタムルック』を発表。ココはココナッツのココ、タムタムは太鼓の音をイメージしています。どんどん野生化していくイメージですね(笑)。 1965年に『オーリック コンパクトファンデーション』を発売して以来、次々と画期的なファンデーションを開発しており、私もこれに力を入れていました。 1974年の水のいらないサマーリキッドファンデーション、1976年には世界初のファンデーションとパウダーをひとつにしたパウダーファンデーション、1979年には水あり・水なし両用の2ウェイケーキを発売。 女性のライフスタイルの変化に合わせて、次々と素肌づくりの新しい習慣を提案していき、そののちに『ファンデーションのコーセー』と言われるまでになりました」