【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑨】与えられた仕事に夢を乗せれば120%の実力になる
新しい商品を開発するには、2年、3年先を見越して立案する必要がある。 「私が常に考えていたのは、その年に18~20歳になるおしゃれ解禁層を含め、いろいろな女性像を想定して、その人の2~3年先をイメージすることです。そして、その女性のライフスタイルの中で合理的なスキンケアやメイクアップを考えていきます。 女性の社会進出が進み、忙しい女性たちは『少しでも簡単に素早くスキンケアやメイクをしたい』、『軽くて小さなコンパクトがあると便利かも』、『スポーツするときもメイクはしていたい』といったふうに必要なものが具体化していきます。 女性が求めるニーズを先取りしていく作業、そしてそれを実現していく過程はとても楽しいものでした」
「絶対に売れない」と言われた世界初の美容液が大ヒット! 諦めない気持ちが大事
「また、私は1975年に美容液の開発もしました。 当時の化粧品はクレンジング、洗顔料、化粧水、乳液、クリームなど、5~6品をシリーズで販売するのが主流でした。丁寧に時間をかけてスキンケアをする女性が多くいることは、とてもうれしいことですが、一方、私のようにスキンケアは少しでも簡単にすませたいというニーズを先取りして、それに応える効果が高く時短になる美容液を作りたかったのです。 当然、社内で猛反対を受けました。それでも私は諦めず、立ちはだかる男性上司や部長の反対をひとつひとつ説得しながら、『化粧液』という種類別名称で発売にこぎつけました。最初は多くの人が求めやすいリーズナブルな価格をイメージしていたのですが、30mLで5,000円という結構強気な価格になってしまいました。 上司たちは『売れるわけがない』と言っていましたが、これが大ヒットになりました。すぐに売り切れになり、増産のうれしい悲鳴に。部長からも『よくこんなオイルが売れたな』と言われましたが、思わず『オイルではありません!』とくってかかったことをよく覚えています」 そののち、1979年に開発当初にイメージした通りの「エスプリーク モイスチュアエッセンス」という名前で、80mLで4,000円のリニューアル版を発売。これは今でも売られているロングセラーだ。 「私には舞台のメイクアップアーティストになるという夢がありました。そのメイクに対する熱い思いを商品開発に乗せていったことが、次々に成功することになったのではないかと思っています。 “与えられた仕事でも、そこに自分の夢を乗せていけば120%の実力に”なります。 大げさに考える必要はなく、例えば、会議の部屋を準備するという任務を受けたら、女性ならではの清潔で爽やかな部屋の匂いとか、かわいいひと口菓子をお茶と一緒に出すといった工夫でもいいのです。与えられた仕事も、イヤイヤやるのではなく、楽しみを見出して前向きに取り組むことが大事なのです」