甲子園の仙台育英戦で習得した「頭で理解する」野球 東北福祉大の最速153キロ右腕・猪俣駿太が明かす“転機”
今春の仙台六大学野球リーグ戦で、会場である東北福祉大野球場のスタンドからどよめきが起こるシーンがあった。5月26日の最終節2日目、仙台大対東北福祉大。負ければ「V逸」が決まる東北福祉大は3回、1点を先制されなおも1死満塁の場面で、リーグ戦初登板の猪俣駿太投手(2年=明秀日立)をマウンドに送り出した。 投球練習で150キロを計測すると、打者に対しても150キロ台を連発し、最速は153キロをマーク。身長185cm、体重85kgの恵まれた体格から繰り出される速球を武器に9回途中まで投げ、6回4安打1失点(自責0)と好投した。タイブレークの末、チームは敗れたものの、強烈なインパクトを残す投球内容だった。
大学初実戦で故障…今春の開幕直前にAチーム昇格
猪俣は1年生だった昨年4月、大学入学後初の実戦となる紅白戦に登板した際、右肘の靭帯を損傷した。高校時代の最速を3キロ上回る148キロを計測し、手応えを感じていた矢先、ある一球を投じた瞬間に「プチッ」と音が鳴り、同時に痛みが走った。 手術はせずに時間をかけて治し、「投げては痛めて」を繰り返したのち、違和感なく投げられるようになったのは今春のリーグ開幕約2週間前。当初は「(春の)新人戦で投げ始めて秋のリーグ戦に間に合わせる」ことを目標にしていた。
しかしBチームにいた開幕直前、Aチームの打者を相手にしたシート打撃で初めて150キロを計測し、その翌日からAチームに合流。仙台大2回戦でリーグ戦どころか対外試合初のベンチ入りを果たし、鮮烈デビューを飾った。 猪俣はデビュー登板を「高校生の頃から試合で投げる経験を積んでいたので、緊張というよりはわくわくした気持ちで楽しんで投げることができました」と振り返る。将来有望な好右腕の原点は、明秀日立時代にあった。
「まだまだやれる」実感した“聖地”での熱投
明秀日立では2年秋からエースナンバーを背負った。投打で活躍して秋の関東大会を制し、翌春のセンバツで甲子園デビュー。初戦で大野稼頭央投手(現・福岡ソフトバンクホークス)擁する大島相手に8回無失点の快投を披露すると、続く市和歌山戦はサヨナラ負けを喫したものの、米田天翼投手(現・東海大)との投手戦を演じ2失点完投と奮闘した。 高校最後の夏も甲子園に出場。3回戦でのちに優勝する仙台育英に敗れることとなるが、この試合が猪俣にとっての“転機”になった。明秀日立は小刻みな継投を駆使し、猪俣は計3度、いずれも走者のいる場面で救援登板して計3回3分の1を3失点。4対5の熾烈なシーソーゲームを次のように回顧する。