露の団姫「結婚3年、子どもができても、自分でないように感じる夫の姓に限界を感じて。自分の姓を取り戻すためペーパー離婚。今でも家族3人ぐらし」
◆苦渋の選択で夫の姓にしたけれど 幸い、夫は男女差別の意識がまったくない人です。彼は、お母さんが看護師として忙しく働いていたので、鉄道整備士だったお父さんも家事を分担する家庭に育ちました。そのためか、「男だから、女だから」という固定観念がありません。 そんな彼は、私の気持ちを理解して、「僕が鳴海になりましょうか」と言ってくれたのです。でも私は、自分の姓を変えたくないのと同様に、夫に「私の姓に変えて」とお願いしたくもない。いったいどうしたものかと、2人で頭を抱えてしまいました。 最終的に夫の姓に決めたのは、彼の家族の事情を考えてのことです。夫のお兄さんは31歳のときに事故で亡くなっていて。 直接関係あることではないけれど、ただでさえ大事な息子を失うというつらい経験をした義父母にとって、次男が井村の姓でなくなることが、なんだか追い討ちをかけるようで酷なのではないかと思ったのです。 それに孫ができたとき、その姓が「井村」だったら嬉しいかもしれない。そんなふうに考えて、私が彼の姓にすることに決めました。
ところが、自分では納得していたつもりだったのに、これが想像していた以上につらかった。 お坊さんになるための得度式を経て、結婚した翌年に行った比叡山での修行は、先輩僧侶から厳しく指導される大変なもの。 そこで、朝から晩まで「井村!」と大きな声で呼ばれると、肉体疲労も相まって、呼ばれるたびに「私は井村ちゃうねん!」という、行き場のないストレスを感じました。 結婚後3年で子どもを授かったのですが、母子手帳を申請するときの姓も当然、「井村」。何度見ても自分でないように感じ、いっこうに慣れません。これまでずっと制度や世間体に疑問を呈してきたのに、結局それらに従わされているような恥ずかしさもありました。 そんなストレスの決定打となったのは、15年のことです。翌年から開始されるマイナンバー制度の準備で、個人事業主である私はあらゆる仕事先に「井村」姓を記入した書類を提出しなければならなくなりました。 数えきれないほどの書類に「井村」「井村」と書き続けるという苦行を続けたことによって、「もう無理! やっぱり私は井村じゃない!」と限界を感じてしまったのです。 (構成=内山靖子)
露の団姫
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