露の団姫「結婚3年、子どもができても、自分でないように感じる夫の姓に限界を感じて。自分の姓を取り戻すためペーパー離婚。今でも家族3人ぐらし」
落語家で僧侶の露の団姫さんは、結婚して一児をもうけたのち離婚届を提出しました。しかしその後の家族3人での生活も仲のよさは変わりなし。事実婚を決意するに至った「姓」の問題とはなんだったのでしょうか(構成:内山靖子) 【写真】夫の大治朗さんと、お手製のTシャツで * * * * * * * ◆出会った瞬間に「この人と結婚する!」 大神楽(だいかぐら)曲芸師の豊来家(ほうらいや)大治朗(本名・井村大二朗)と結婚したのは2011年、私が24歳のときでした。 出会いはその半年ほど前、名古屋にある大須演芸場で10日間の出番をいただいていた最中です。当時、入門5年の新人落語家だった私は、楽屋に泊まり込み、出番の間に掃除、洗濯、炊事と忙しく過ごしていました。 寄席の外の掃き掃除をしていると、その日から出番だった大治朗が大きな荷物を抱えて近づいてきて。顔を見た瞬間、「この人と結婚する!」と直感したのです。理由は自分でもよくわかりません。好みのタイプじゃなかったんですけどね。(笑) それからの5日間、毎日、大治朗と一緒に掃除をしたり買い出しに行ったりしているうちに、まるで自分のかたわれのように感じられて。 不思議なことに、夫のほうも同じ心境だったようで、お互い「ずっと一緒にいたい」という気持ちが強くなり交際がスタートしました。すぐに結婚の話になったのですが、私たちには越えねばならぬハードルが2つあったのです。
ひとつは宗教の違いです。私は落語家であると同時に、天台宗の僧侶になることを目指していました。一方、夫は29歳のときにプロテスタント教会の洗礼を受けていて。「仏教徒とクリスチャンが結婚するなんてありえない!」と、周りからかなり反対されたのです。 でも、私たち自身は、それぞれの親を敬うように、お互いが信じる仏様や神様を敬い合えばいいよね、と話していたのですんなり解決できました。 もうひとつのハードルは「姓」を変えることです。この問題はなかなか結論が出なかった。私は中学生の頃から、結婚したらどちらかが姓を変えないといけないということに疑問を抱いていたのです。 同級生の女の子は好きな男の子の話をするときに、「私、田中君と結婚したら田中由美子になるんだわ~」なんてうっとり。そういう話を聞くたびに、「なんで名字を合わせなきゃいけないの?」って。 しかも、たいてい女性が男性の姓を名乗る。それって、自分が相手に吸収されていくように感じて違和感がありました。企業同士の吸収合併も、表向きは対等と言いながら、吸収されるほうの力が薄れていくでしょう。 だから、姓を揃えたら人によっては力関係ができる気がしたんです。とはいえ、夫婦別姓は法的に認められていない。そこで、夫の姓の「井村」にするか、私の本名である「鳴海」にするか、2人で話し合うことにしたのです。
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