安楽死の「必要性を感じない」 緩和医療の最前線にいる医師が伝えたい「在宅医療の普及」
「安楽死が認められない」=「苦痛にあふれた最期」ではない
緩和ケアが浸透している一方で「安楽死」も議論されつつある。ヨーロッパで合法化が進み、それが認められた国で実際に安楽死の選択をした日本人患者の話もSNSでは見られる。鬼澤氏は緩和医療の現場にいる身として「必要性を感じない」と語気を強めた。 「つまり、本当に苦痛があれば苦痛を緩和する手立てはあるし、例えば肺がんとかで最後、何を使っても苦しい場合は鎮静って言ってウトウト麻酔みたいに眠っていただくこともあるんです。それは在宅でもできます。そう考えると身体的な苦痛にあふれた闘病って今はあまりないので、安楽死が必要だと思うことがないです」 さらにこう続けた。 「安楽死を議論する前に日本で在宅医療、緩和医療が普及しているのかが問題だと思う。それを患者さんが理解できているかどうかも問題だと思います。安易に安楽死を語る前に精神的救済を含めた緩和医療がより普及されて知られれば『日本も安楽死を認めるべきだ』っていう話はもっと慎重になると思うんです。 緩和医療と安楽死って混同されがちです。でも緩和医療は命を止める行為はしないけども、苦痛を緩和する行為はする。苦痛を緩和する行為の延長に仮に死が近づくということがあっても、それは極論許容されているわけですよね。その辺りを分かっていない人も多くて『安楽死が認められない』=苦痛にあふれた最期を迎えないといけないわけではないんです」 「もう一つだけ言わせてください」と鬼澤氏。 「日本でもしっかり自己選択はできるんです。例えば神経難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)。体だけが動かなくなって頭は動くという状況になる病気なんですけど、それですら最後に人工呼吸器をつけるかどうかなど本人の判断が尊重されます。本人がやらないと言ったら日本でもやられることはないんです。死期は結果的に早まったとしても本人の意思が尊重されます。そういう積極的な治療をしないという選択は日本でも必ず認められているんです。そう考えると安楽死を推進している人ってあまりいないのかなと思いますね」 元々は大学病院で先端医療を学んでいた鬼澤氏。「その人らしく後悔なく生き抜いたことに価値がある」の思いで約10年前に緩和医療に舵を切り、患者の望む形で1000人以上を看取ってきた。人の尊厳を日々考えているからこそ、思いがあふれていた。
島田将斗