線状降水帯による水害の先駆け 「東海豪雨」から23周年で追悼の集い
「東海豪雨」から23周年で追悼の集い
2000年に東海地方を襲った「東海豪雨」による犠牲者を追悼する集いが11日、名古屋市西区であった。当時はまだ一般的ではなかった線状降水帯やゲリラ豪雨などの先駆けとされる水害。参加者は各地で相次ぐ同様の水害の被災地に思いを馳せながら、23年前の記憶と教訓を語り継いだ。
死者10人、名古屋で観測史上最大の雨量
2000年9月11日から12日にかけ、本州付近に停滞していた秋雨前線に向かって台風からの暖かく湿った空気が流れ込み、東海地方に線状降水帯が発生。名古屋で観測史上最大の1時間雨量97ミリを記録するなど、各地で猛烈な雨が降った。 川の氾濫や土砂崩れによって愛知県や三重県で死者10人、住宅の全半壊約200棟、床上・床下浸水約7万棟などの被害が発生。名古屋市や隣接する愛知県西枇杷島町(現・清須市)を流れる「新川」では堤防が決壊し、周辺の住宅地が濁流にのみ込まれた。 決壊現場の向かいにある西区の「あし原公園」には翌年に慰霊碑が立てられ、毎年9月11日早朝に住民有志らの「東海豪雨を語り継ぐ会」が集いを開いている。
音楽も取り入れた式で「風化させない」
この日は開催前から雨がパラつくあいにくの天候だったが、約20人の参加者が集まり、慰霊碑の前で「9・11」の形に並べた竹灯籠に火を灯して黙祷。地元住民で胡弓演奏家の石田音人(ねひと)さんが復興を願って作詞作曲した「水仙~風に光る花」を歌ったり、水仙の球根を公園の一画に植えたりした。
会の代表でもある石田さんは「このままだと災害の記憶が風化してしまうことは分かっているので、音楽なども取り入れてイベント的に行い、今日は新しい人たちにも参加してもらった。ここは庄内川が増水したら洗堰(遊水地)を通して新川に水が一気に流れ込み、堤防があふれやすい場所であることなども地域の人に伝え続けたい」と話した。 (関口威人/nameken)