南米ペルーのフジモリ元大統領、がんで死去-86歳
(ブルームバーグ): ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領ががんで死去した。86歳だった。元大統領の家族が11日発表した。
1990年に日系人として世界で初めて大統領に就任したフジモリ氏は38年7月28日、リマ生まれ。ラ・モリーナ国立農科大学で学び、その後、フランスのストラスブール大と米ウィスコンシン大に留学した。ペルーに戻ると母校の農科大学で数学教授となり、同大学学長も経験した。
90年の大統領選に出馬し、ダークホース的な存在だったが、決選投票で後にノーベル文学賞を受賞した作家、マリオ・バルガスリョサ氏を破り当選。政権を握った10年間で、経済の復興に尽力。ゲリラ壊滅にも乗り出し、毛沢東主義を掲げる左翼ゲリラ「センデロ・ルミノソ(輝く道)」を弱体化させた。
フジモリ氏は92年、議会と司法を閉鎖するという権威主義的な決定を行った。96年12月には左翼ゲリラのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)による日本大使公邸人質事件が発生。事件は97年4月にペルー軍の特殊部隊が侵入して銃撃戦の末に解決したが、フジモリ氏の独裁的な政治姿勢に対する批判が高まっていった。
2000年に側近の不正疑惑が発覚。同年11月に訪問先の日本で辞意を表明し、事実上の亡命生活に入った。05年に日本を離れチリに入国したが拘束され07年にペルーに引き渡された。
09年に在任中の市民虐殺事件で殺人罪などに問われ有罪判決を言い渡され、その後、健康悪化で入退院を繰り返し、17年12月に恩赦が決定した。大統領選に3度出馬し、いずれも敗れたケイコ氏は長女。
1989年から92年まで米国の駐ペルー大使を務めたアンソニー・クウェイントン氏は「フジモリ氏は大きな災難を引き継いだ。経済は完全に崩壊し、爆弾テロは毎日発生していた。彼はペルーの進路を変え、それ以降ペルーはその軌道上にある」と述べた。
原題:Alberto Fujimori, Authoritarian Behind Peru Rebound, Dies at 86(抜粋)
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Marcelo Rochabrun