イーロン・マスクの時間、普通の経営者の時間
人類社会におけるカネの動きのタイムスケールはどの程度のものか――昨今では株の超高速取引で、毎秒1万回というような売買が実際に行われている。0.1ミリ秒だ。長い方はといえば、長期国債で50年物というものがある。大ざっぱに1ミリ秒から100年。しかも大部分は1秒(店舗での決済)から10年(企業経営の長期計画)に集中しているといえるだろう。 すると、新自由主義的思考では、それ以上の長いタイムスケールの社会的、さらには人類的問題には価値を測ることができずに、評価が不可能になってしまうのだ。 東日本大震災以前、東京電力は明らかに福島の古い原子炉への安全投資に及び腰だった。当時、福島第一では既設の6基の原子炉の他に7号炉と8号炉の建設計画が動いていた。これらの完成後に古い1号炉から順番に廃炉にしていく構想だった。 近い将来廃炉にする古い原子炉への追加投資は、無駄でしかない。株主に説明できない――数年のタイムスケールで見るならばそうなる。 しかし、1000年という時間で考えるなら、絶対に投資しなくてはならなかったのである。 このように考えてくると、レーガン、サッチャー、そして我が国の「ヤス」以降、世界を新自由主義が席巻する中から、イーロン・マスクは新自由主義の欠陥を突く形で登場し、活動していることが見えてくる。 ●火星の大皇帝イーロン? 彼に関しては「火星に帝国を作り、皇帝として君臨する気ではないか」などと言われることもある。 彼のやっていることは、本来国のような公が行うべきだが、新自由主義の風潮で公が縮小していく中で放棄されたものを、独自の思考で拾い上げ、展開していると考えられる。自身が国、あるいは公の代替物なのだから、次の展開は当然建国となる。そうなれば「火星のイーロン・マスク皇帝、戴冠」という発想は決して不自然ではない。 現在世界の喫緊の課題である温暖化ガス削減で、排出枠取引という経済とリンクする対策が動いているのは、新自由主義と、新自由主義では対処できないタイムスケールの全人類的課題とを結びつける試みと位置付けられよう。 その意味では、イーロン・マスクのもう一つの顔が、電気自動車と自然エネルギー機器を開発・製造するテスラの経営者だということも、するりと腑(ふ)に落ちる。スペースXとテスラは、同じ思考、同じ狂気から生まれた盾の両面なのだ。 イーロン・マスクは、いてつく川を川面に浮かぶ氷から氷へと飛び移ることで対岸に渡りきろうとしている人、のように私には見える。氷の一つ一つは、彼の体重を支えるほどの浮力もないし丈夫でもない。氷が割れて沈む前に次の氷に飛び移る。その繰り返しだ。アニメのギャグ表現に、崩れる建築物の上を、崩れるよりも早く走り抜けるというのがあって、宮崎駿監督の十八番(オハコ)なのだけれど、それに例えても良いかもしれない。イーロン・マスクが、宮崎キャラほどの運動神経を持っているかどうかは分からないが。 その一方で、SNSの「X」(旧Twitter)の運営で見せる、どうしようもない手際の悪さからは、彼は地球とか自然とかほどには人の気持ちの機微が見えないのだろう、ということも分かる。彼に会ったことのある人が、「彼はNerd(オタク)だよ」と言うのを聞いたことがある。当たらずといえども遠からずなのだろう。 津波が来る時、多くの人は「周りはどうするだろう」と見回しているうちに、逃げる機会を失ってしまう。しかし中には、他人を見ずに水平線を見て、迫り来る波頭を見つけて一目散に逃げ出すタイプの人がいる。普段は「あの人は気遣いのできない人で」とか言われている人だ。そういう人が集団に一人でもいると、煽(あお)られて集団全体が一気に逃げ出すので、津波から逃れることができる。 イーロン・マスクはそちらのタイプなのだろう。 できないことを気にするよりも、人生、得手に帆揚げてしゅらしゅしゅしゅ――。イーロン、SNSなんかで遊んでないで、早くロケットを造るんだ、と、私の戯(ざ)れ言が彼に届くはずもないのだけれども。
松浦 晋也