イーロン・マスクの時間、普通の経営者の時間
火星への植民に大まじめ――確かに狂っている。が、その狂気を実現するための筋道は完全に道理にかなっている。 この狂気は主に、どれくらいのレンジで時間を認識しているか、の長さにかかっている。 ●1000年、1万年単位のリスクは真面目に考えて当然 気候変動や破滅的大災害が問題になるような長い時間と、せいぜい1年とか10年単位で動いている人類の社会活動を結びつけて思考を展開しているところに、イーロン・マスクの狂気の源泉がある。 しかし、それは本当に狂気なのだろうか。 我々はほんの13年ほど前に、1000年単位の災害に備えないと大変ひどい目に遭うという手痛い経験をしている。2011年3月11日の東日本大震災のことだ。 この震災では、福島第一原子力発電所の原子炉が緊急停止。停止直後の核燃料内部では大量の熱を発生する放射性同位体が生成しているので、冷却水を循環して冷却しなくてはいけない。 ところが地震と津波のダブルパンチで、冷却水を循環させるポンプを駆動する電源が使えなくなり、冷却できなくなった。最後の手段として装備していた電源なしで冷却する機構も、長年動作訓練をしていなかったためにうまく使えず、結果、核燃料が溶融して外部に放射性同位体が放出される大事故となってしまった。 2011年3月11日以前から、東北の沖合では東日本大震災クラスの大地震が、1000年に1回程度の割合で発生することは分かっていた。前回は869年の貞観地震だ。貞観地震については古文書が残っていて、ある程度地震の規模や被害も分かっていた。また、最近では地震による津波が作った土砂の堆積の研究が進んで、震源である三陸沖より南の福島や茨城の沿岸にもかなりの規模の津波が押し寄せてきたことが判明していた。このため、原子力発電所の緊急冷却機構を津波に強い仕組みに改修しないと危ない、という議論が地質学者、経済産業省と電力業界の間で進んでいた。 ところがこの時、東京電力は改修のための投資を渋り、経産省もそれに同調してしまったのである(これも以前書いた→「原発を造る側の責任と、消えた議事録」)。 結果は今見る通りだ。 1000年に1回だから、自分が生きている間には起きないなどと考えてはいけないのだ。逆に積極的に1000年に1回に備えていかないと、社会の安全や安定は保たれないのである。 では、1万年に1回、10万年に1回、100万年に1回ならどうなのか――イーロン・マスクが考えている火星への植民とは、そのようなタイムスケールによる思考の産物なのである。 ●新自由主義で考えるとタイムスケールが短くなる 別の言い方をしよう。イーロン・マスクは、新自由主義的思考の外側にいる。 新自由主義――ネオリベラリズムは、1980年代の米レーガン政権及び英サッチャー政権の採用するところとなり、世界中に広がった。日本では同時期の中曽根政権が採り入れ、その結果として電電公社や国鉄などが民営化された。 新自由主義とは、徹底して市場原理を重視する経済思想だ。政府による経済への介入を最小限に留め、民間が主体となって経済を形成していくべきだとする。市場原理に基づき、民間は効率的に動く。効率的に動けば、それだけ経済は強くなり、成長するというのだ。効率を測る指標は、市場だ。効率良く動けば、それを市場が高い価値があると評価する。より効率的に動く者が経済的な勝者となるので、時と共に経済も社会も強靱(きょうじん)で効率的なものになる――新自由主義はそのように主張した。 が、ここに落とし穴があった。市場による評価とは、価格だ。つまり新自由主義は、社会に存在する価値を金額の多寡に還元する。