イーロン・マスクの時間、普通の経営者の時間
収益を上げることは目的ではない。火星に植民することこそが目的なのだ。事業拡大も収益も、すべては火星植民のための手段なのである。 「狂っている」と思われた方、その通りだ。イーロン・マスクは狂っている。狂気の経営者と形容してもいい。だが、公開されている資料から彼の思考を追っていくと、単に「狂気」では片付けることができない合理性が見えてくる。 ●火星に植民すべき合理的な理由 そもそも、なぜ火星のような遠い星に植民しなくてはいけないのか。 イーロン・マスクは考える。 人類は地球上で進化し、文明を築いた。では、地球は文明の拠点として最適な場所か。 長期的に地球環境は変動する。100万年オーダーでは、人類が絶滅するほどの巨大噴火も発生する。10万年単位では、気候は暑くなったり寒くなったりで変動する。巨大地震は1000年に1回というような割合で起きる。地震の起きる地域は地球上に多数存在するので、地球全体で見るとほぼ毎年巨大地震が発生している。 地球は決して文明が安穏と維持発展できる場所ではない。だから、文明のバックアップを地球以外の場所に作る必要がある、と彼は考える。 では、どこに地球文明のバックアップを作ればいいのか。 月は空気がなく重力は地球の1/6と小さすぎる。 金星は高温過ぎる。 火星は、1年が687日。地球の2倍弱。希薄ながら二酸化炭素を主成分とする大気がある。大変都合のいいことに、1日の長さは、24時間37分と地球とほぼ同じだ。 重力は地球の1/3。月よりは地球に近い。平均気温はマイナス63度。地球の平均気温が14度なので、大変厳しい。しかしながら、地球の観測史上最低気温はマイナス89.2度。つまりうまく場所を選ぶならば、火星表面は温度的に人類が耐えられない環境というわけではない。 二酸化炭素の大気を人類は呼吸できないが、そこから酸素を取り出すことができる。 それだけではない。火星には水がある可能性が高まっている。水があれば、そこから燃料の水素と酸素を作ることもできる。水素と炭素があれば、メタンを作ることもできる。 よし火星だ。 火星に文明のバックアップを作るために最初に必要なのは、ロケットだ。 だから彼は、スペースXを立ち上げた。 火星との有人往復飛行には、月に行くよりずっと大きなロケットが必要だ。 だから、ファルコン1、ファルコン9、スターシップと、どんどんロケットを大きくした。 しかも大量のロケットを安いコストで打ち上げる必要がある。 コストを下げるにはロケットを使い捨てにするのではなく回収再利用するべきだ。 だから、ファルコン9の第1段を再利用化し、スターシップでは1段2段とも、再利用を行おうとしている。 より大きなロケットを開発し続けるためには、地上の経済とリンクする形で、どんどんロケットを打ち上げる――つまり使っていく必要がある。そんな需要はあるか。需要がないなら作ってしまえ。だからスターリンクを始めた。 ちなみに、スターリンクの衛星は今後、より大型の「スターリンクV2」という衛星が使われることになっている。この衛星は現行の「V2ミニ」という衛星よりもずっと重いので、ファルコン9で大量に打ち上げることはできない。打ち上げにはスターシップが使われる予定だ。 つまり、スターシップは最初からスペースXが自ら作り出した打ち上げ需要がある上で、なおかつNASAのアルテミス計画での需要も獲得しているというわけだ。本稿執筆中の6月11日には、「スターシップを1日1機製造する」という将来計画が報道された、火星に移民するなら、確かにそれぐらいの数のスターシップは必要だろう。だとしても、尋常な神経でできる決断ではない。