安易な国粋主義を戒めた「日本主義」哲学者の気概 九鬼周造の生き方に見る「媚態」と「やせ我慢」
どこが「閉鎖的な文化特殊主義」なんでしょうか。どう読んだって、むしろそれを戒めているとしか読めません。 そして、実はこれこそ、自文化の独自性・特殊性を自覚しつつ、他文化との相互了解という「不可能な可能性」を「無窮」(=永久)に追求するという、「いき」の態度そのものを表現してもいるわけです。以上、ひとまず従来の九鬼に対する誤解と、それへの私の反論について説明させていただきました。 ■なぜ九鬼は「いき」にこだわったのか
中野:ありがとうございます。私は九鬼について詳しく研究したわけではないので、いい加減なことを言ってしまうかもしれませんが、日本の文化的伝統と言ったら、「わび」とか「さび」を主題にしそうですが、なぜ九鬼は「いき」にこだわったのでしょうか? どこかの記事で、「いき」というのは、日本語で生きるの「生き」と関係しているのだと読んだことはありますが。 古川:そうですね。生きるの「生き」と、呼吸の「息」。あとは意気地とか、意気に感じるの「意気」。行ったり来たりの「行き」もありますね。これらは全部、語源が同じである。だから、「いき」とは「生き方」であり、人生の「行き方」であると九鬼は言っています。
中野:いろいろと意味はありますが、通約不可能性のことをとりあえず無視して、「いき」という言葉をあえて英訳すると「Life」ですよね。つまり「生」。現象学を学んだ人が「生」をテーマにするというのは、何も不思議なことではない。「Life」を現象学で研究しているときに、それを日本語でどう表現するのか、そして、ハイデガーの影響も受けて、語源学にも関心をもった結果、「Life」を「いき」と結びつけるに至った、という仮説もありえそうです。
■母への思いと西洋との対峙 古川:言われてみれば、まったくおっしゃるとおりですね。しかし、九鬼研究ではその点に言及されることはあまりありません。なぜ九鬼が「いき」にこだわったのかについては、諸説あります。 いちばん有力で、ほぼ間違いないのは、彼の母親に対する個人的な思いです。少しだけ説明すると、九鬼の母親の波津(はつ)という女性は、芸者出身だったと言われています。一方、父親は文部官僚の九鬼隆一。現在の重要文化財保護法に当たる古社寺保存法の制定などを主導した人として有名で、岡倉天心のパトロンでもありました。