安易な国粋主義を戒めた「日本主義」哲学者の気概 九鬼周造の生き方に見る「媚態」と「やせ我慢」
ところが、波津さんと岡倉がいわゆる不倫の関係になってしまいます。波津さんは隆一と離婚し、さらに最終的には岡倉からも見捨てられて、孤独のうちに心を患って精神科病棟で亡くなりました。九鬼は少年時代に、その母の姿を目の当たりにしていて、それがずっとトラウマのようになっていました。ですから、江戸の芸者の美意識である「いき」を論じるとき、九鬼は常にお母さんのことを思っていたんです。 たとえば、『「いき」の構造』のなかで、江戸時代に最も「いき」な色とされたのは「白茶色」だと述べていますが、その草稿をヨーロッパで書いていた頃、彼は「母うえのめでたまひつる白茶色 はやりと聞くも憎からぬかな」という短歌を詠んでいます。なんだかちょっと涙を誘いますね。
しかし、それと同時に、私が今回、久しぶりに九鬼の論考を読み返してみて思ったのは、「いき」というのは、日本人の「西洋」というものに対する向き合い方を問題にしていたのではないかということです。 「いき」とは、自己と異性、広くは他者一般との関係のあり方です。九鬼が言うには、それは「媚態」「諦め」「意気地」の3つの契機から成り立ちます。「媚態」は、相手と一体になりたいと思って媚びを売ること。それによって相手を引き付け、相手との距離を縮めることです。他方、「諦め」は、逆に、どうしても相手と一体にはなれないということ、どこまでいっても自分は自分で人は人ということを深く自覚すること。「意気地」は、いわば「俺は俺だ」と意地を張って相手をはね付けることです。「媚態」によって相手との距離を縮めつつ、「諦め」と「意気地」によって、逆に相手との距離を保ち、個としてあり続けようとするわけです。
古川:先ほど見たように、九鬼は一方では、西洋の優れた思想を積極的に学んで受け入れるべきだと言い、しかし他方では、日本には他の文化には翻訳できない日本独自の文化・伝統があり、それを大事にすべきだと言います。これはまさに「いき」なあり方を言っているわけです。 九鬼自身、8年もヨーロッパに留学して、ドイツ語やフランス語はもちろん、ギリシア語、ラテン語も完璧にできました。九鬼というと、とかくハイデガーの影響など、現代哲学との関係が取り沙汰されますが、実は彼が最も重視したのは、古代・中世以来の西洋哲学の伝統であって、その思考様式や学術的な作法に徹底的に従っています。つまり、彼ほど「西洋」というものに自己を同一化しようとした哲学者はいないと言ってもいい。